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コラム 悲運のボクサーは今日もサンドバッグを叩く

2017年3月20日 23時45分

■計量会場に包帯グルグル巻きのボクサー

 2016年も押し迫った12月18日、ボクシングの計量会場で異様な光景を見た。目の前にいた選手がおもむろにズボンを脱ぐと、両脚は何と包帯でグルグル巻き。難しい顔で苦労しながら包帯を外すと、両脚の裏側が「うわっ!」と声を上げたくなるような真っ赤なやけどでただれていたのだ。

 あっけなくドクターストップとなったボクサーの名前は小泉雅也。翌日はデビュー戦だったとはいえ、どう考えても試合のできる状態ではない。それでも彼が一縷の望みを抱いてスーパー・フェザー級のリミット、58.9キロまで体重を落とし、計量会場まで足を運んだのにはわけがあった。

デビュー戦6日前に大やけどをした小泉

 小泉の年齢は36歳。年が明けて1月1日にはボクサーの定年である37歳の誕生日を迎える。つまり小泉にとってデビュー戦は、プロのリングに立てる最初で最後のチャンスだったのだ。

「めちゃくちゃショックでした。友だちも応援してくれていたし、自分も戦う姿を見せたかった。『なんでやらせてくれないんだ』とも思いましたけど、あの傷では仕方ないのかなと。本当に残念でしたね…」

■21歳で結婚、工場勤務の傍らボクシングに励む

 19歳でボクシングジムに通い始め、21歳からは小熊ジムでトレーニングを続けている。いつかはプロになるつもりが、リングまでの道のりは思いのほか遠かった。マーガリンやホイップクリームを作る食品加工会社の工場で勤務しているため、遅番が多く、連続してジムに通うことが難しかったからだった。

 工場の仕事を辞めて、時間の都合のつくアルバイトなどに切り替えれば、練習に通うこともできただろう。しかし、子どもができて21歳で結婚をした身に、定職を手放すという選択肢はなかった。30歳を過ぎて妻とは離婚をしたが、養育費を払うという責任はしっかり果たしたかった。

■試合6日前の悲劇、熱湯が両脚を直撃

 会社の理解を得てシフトを調整し、小熊正二会長のゴーサインが出たのが昨秋のこと。うちに12月の試合が決まった。やっとプロのリングに上がれる! 喜びもつかの間、試合の6日前に想像もしなかった悪夢は訪れた。

「ホースから出る熱湯を凍っている食材にかけて溶かし、タンクに入れる作業をしているときでした。この作業は水と蒸気をうまくレバーで調整して、ちょうどいい熱湯を作るんです。工場は集合管になっているので、別の場所でで水を大量に使ったりすると、自分のホースをレバーで調整しないといけない。そのホースが床で暴れだしてしまって…」

 別の作業員が床に置いたホースが、何らかの原因で水と蒸気のバランスを崩し、高温の蒸気を突如大量に噴出した。これが小泉の足に直撃した。背後でいきなりホースが暴れたため、まったくよけることはできなかった。蒸気を浴びた両脚の裏側は無残な状態となり、小泉は病院に担ぎ込まれた。

 あきらめきれず計量会場まで行ったが、ドクターストップを食らったのは前述の通りだ。翌日に病院に行くと、即入院を言い渡された。やはり試合に出られるような状態ではなかったのである。

練習はいつでも真剣勝負、「もっとうまくなりたい」一心だ

■身体が持つ限りボクシングを続ける

「スパーリングでやられて、もっと強くなりたい、もっとうまくなりたいと思って練習する。ここでやめたら負けだと思って練習する。その繰り返しです。スパーができなくなっても、サンドバッグとか叩き続けると思います。身体が持つ限りはやりますよ。自分の性格からして仕事人間にもなれないですしね。社会人失格かもしれないですけど」

 幻となったデビュー戦から2か月半がすぎた3月某日、小泉は久々にジムで汗を流した。入念にシャドーボクシングをし、小熊会長のミットにパンチを打ち込み、サンドバッグに向かい、パンチの軌道を確認した。ボクシングのない人生なんて考えれない。たとえ試合に出られなくても、小泉はサンドバッグを叩く。(渋谷淳)

※この記事はYahooニュースより転載しています(一部省略)https://news.yahoo.co.jp/byline/shibuyajun/20170317-00068778/

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