新日本木村ジムの前会長で全日本ボクシング協会(現在の日本プロボクシング協会の前身)会長も務めた木村七郎氏が慢性心不全のため3月7日に都内の病院で亡くなっていたことが分かった。90歳だった。葬儀はすでに家族葬として済ませている。

生前の木村氏
宮城県出身。アマチュアでは宮城県、東京都の社会人選手権大会で優勝し、1956年に当時業界屈指の有力ジムだった新和拳からプロ・デビュー。同年の全日本フライ級新人王となる。元東洋フライ級王者三迫仁志に判定勝ちし、三迫はこれを最後に引退。木村氏は58年に矢尾板貞雄の持つ日本タイトルに挑戦したが、これは10回判定負け。翌59年に引退した。通算プロ戦績は23戦18勝5KO5敗。
1961年にTBSと極東ジムが組んで全国的に実施したオーデション「ボクシング教室」に審査員とトレーナーとして参加し、後の世界王者沼田義明の発掘に貢献した。
同年には木村ジムを起こし、後に現役時代に指導を受けた石井敏治氏をトレーナーとして迎えている。
世界フライ級チャンピオンの小熊正二をはじめ、多くのチャンピオンを育てた。この中には高山勝義、山上哲也、岡田晃一、沼田久美、友成光、赤城武幸、坂本孝雄、上山仁らの著名選手が含まれる。
業界の重鎮としての顔もあり、84年から全日本ボクシング協会の協会長を1期務め、就任するや早速プロ・ライセンス取得の全選手に対しCTスキャンによる検査を義務付けた。「木村が協会長だったからこそ通った話」と、昨年亡くなった石井トレーナーも特にこの点を評価していた。
20年にジムの会長職を次男の英之氏に移譲して名誉会長となっていた。

