14日、東京・後楽園ホールで行われる「ダイヤモンドグローブ」のメイン、日本S・フライ級タイトルマッチは因縁の再戦になる。
王者でWBA 同級15位の山口仁也(やまぐち・じんや、三迫/25歳、6 勝2KO1分)と日本1位の重里侃太朗(じゅうり・かんたろう、志成/29歳、7勝2KO2分)は昨年10月31日、最強挑戦者決定戦で激突。熱戦の末に引き分けたが、両サウスポーの明暗はくっきりと分かれた。
優勢点で勝者扱いとなった山口。今年4月、空位の日本タイトルを東福岡高校時代の2学年上の先輩・吉田京太郎(ワタナベ)と争うと終盤9回にダウンを喫しながらも小差判定で振り切り、日本タイトル奪取を果たした。
一方の重里。試合後、控え室の扉越しに山口に声をかけ、「まだ勝負はついてない。また決着をつけよう」と熱い思いを伝えた。「結果は引き分けなんですけど、次に進んだのは山口選手で、次に進めなかったのは僕」。苦い思いを片時も忘れたことはない。
当初の予定通りなら、再戦が早期に実現するかは不透明だったが、山口が挑戦するはずだった前王者・高山涼深(ワタナベ)が休養を発表し、運命の歯車は動き出した。
吉田との激闘の代償に山口は左目網膜剥離を発症。手術と療養で試合間隔は空くことになったが、重里は照準を山口だけに合わせ、間に一戦も挟まなかった。プロ初のタイトルよりも「何が何でもやり返してやる、という気持ちが強い」と意気込む。山口もまた「今は自分がチャンピオンでも、立場的には同じイメージ。次こそ白黒はっきりつけて勝ちたい」と決着を望む。
佐賀県多久市出身の山口。小学校5年生からボクシングを始め、主将を務めた大東文化大学では2年時の国体で3位の結果を残した。と記せば、今時のアマチュアホープと思われがちだが、ジュニアを含め、これが唯一の全国大会だった。
重岡銀次朗(ワタナベ)、堤駿斗(志成)、松本圭佑、今永虎雅(ともに大橋)、荒本一成(帝拳)など、山口は粒ぞろいの“1999年組”の世代。中垣龍汰朗、田中湧也(ともに大橋)、川谷剛史(東洋大学)らに全国行きを阻まれてきた。結果を出せなかった悔しさも原動力となっている。
日本ユース・タイトルが懸かったプロ3戦目でアマチュア8冠を誇った中垣を撃破。「あそこで勝てたのが大きかった」と実感を込める。だが、「ボクシングのチャンピオンは世界チャンピオンだけ」と山口。重里との再戦にケリをつけ、道をつなげる。(取材/構成 船橋真二郎)
※「ダイヤモンドグローブ」は14日18時の第1試合開始からFODでライブ配信される。
■奈良井翼と99年組の非エリートから日本王者に
――ボクシングを始めて15年で初めて日本一になれたとSNSで。
山口 そうですね。アマチュアの頃は結果を残せなかったんで。やっと、ですね。高校のときは福岡県の決勝で負けて、九州大会にも行けなくて。
――福岡県で毎回のようにあたる相手がいたそうですね。
山口 豊国学園(高校)の川谷(剛史)選手。同い年で同じライトフライの高校チャンピオンになる人なんですけど、いつも県で負けてました。
※川谷は高校3年時にインターハイ、国体の2冠を達成。東洋大2年時の全日本選手権で初優勝し、こちらも初制覇を狙っていた1学年上の松本流星(帝拳)を準決勝で破っている。
――全国大会は大東文化大学2年の国体が初で、準決勝で三迫ジムにいた馬場(龍成=現EBISU K’s BOX)選手に。
山口 あ、そうです。馬場さんに負けました(笑い)。全国に出たのはそのときだけです。
――翌年からコロナ禍で大会が中止に。小、中学生のときは?
山口 何回か出ましたけど、全国には出てないですね。そのときは九州(予選)かな、中垣選手とか、田中湧也選手とやりました。
※田中はU-15、アンダージュニアで計6冠を達成した。
――この世代は実力者がそろっていて、全国に行くにも壁が。当時はどんな気持ちでしたか。
山口 全国に出て、優勝するのが目標だったんで。やっぱ、悔しかったですね。
――自信をなくしたり、挫けそうになったりしたことは?
山口 いや、でも、それはなかったです。いつもギリギリで負けてたんで。自分の中では、あとちょっとの差というか。ずっと、次は勝てるだろう、次こそ勝てるだろうで挑んで、結果、全国に出れなかった感じです。
――確か中垣選手とは2回やったんですよね。
山口 中学のときと大学のときの全日本の九州予選ですかね。
――その勝てなかった相手のひとりで、アマチュア8冠の実績を残した中垣選手にプロ3戦目の日本ユース王座決定戦で勝ちました。
山口 あそこで勝てたのが大きかったです。いつも以上に勝ちたいという気持ちは強かったですし、今につながった試合ですね。
――自信にもなりましたか。
山口 でも、自信はあったんで。
――試合前から自信があった。
山口 はい。ラウンドが長くて、8オンスで。僕にはプロが合ってると感じるんで。
――S・フェザー級の日本チャンピオンの奈良井翼(RK蒲田)選手も同い年で。
山口 あ、そうなんですか。
――1999年生まれですね。奈良井選手も高校時代、大阪からずっと全国に行けなくて、3年生のインターハイで初出場したのが堤駿斗選手、松本圭佑選手と同じバンタム級で(堤が優勝、松本が準優勝)。有名どころを食ってやると燃えていたのが初戦で負けてしまうんですけど、彼も自分はプロ向きと。そういう2人が今、日本チャンピオンなのも面白いなと。
山口 確かに。奈良井選手も、ずーっとトップの景色を見れなくて、その景色を見たいと思って続けてきて、やっと見れたっていうのがあるんじゃないですかね。
――それは山口選手も同じですか。
山口 やっぱり、やっと日本一になれたなって、嬉しかったですよ。でも、日本チャンピオンも歴史があって、すごいと思うんですけど、僕はボクシングのチャンピオンは世界チャンピオンだけだと思ってて、プロに行くと決めたときから、そこしか目標はなかったです。でも、まだまだ世界は遠いんで、少しずつ近づいていければな、と思ってます。
■戦い方を使い分けるのが“激闘派”の本来の姿
――4月の王座決定戦ですが、まず1ヵ月ほど前に相手が吉田選手に変わりました。
山口 ずっと高山選手とやると思って、ずっとサウスポーとやってきて、急に(オーソドックスに)変わったんで。最初はちょっと(感覚の)ズレがありましたけど、実戦を積み重ねて、すぐに感覚が戻ってきて、うまく仕上げられたと思います。
――相手が高校の2つ上の先輩になったことは?
山口 タイトルでできたのがよかったです。やっぱ、気持ちが違うんで。
――吉田選手に対しても自信が?
山口 もちろん、ありました。
――激闘になりましたが、1ラウンドは向こうのペースでした。
山口 そうですね。でも、(コーナーで)指示をもらって、ガンガン行くような、アグレッシブなスタイルに変えたのがうまくハマったと思います。
――ただ、9回にダウンを奪われて。ダメージもありましたよね。
山口 危なかったですね(苦笑)。このまま行けるかな、というところでもらっちゃって。でも、倒れたときのイメージもしてたんで。うまくしのげたと思います。
――ダウンしたのは2戦目のフィリピンの選手、5戦目の長嶺(竜久=平仲BS)選手のときと。
山口 3回目です。結構、ありますね(苦笑)。
――決していいことではないですけど、その経験も生きた。
山口 でも、そこが今の一番の課題です。一発のミスをなくすように徹底しないといけないですね。攻撃に行くことはできるんで、攻めてるときのディフェンスをどこまでしっかりできるか。
――激闘派というイメージがついてきています。
山口 できれば激闘はやりたくないんですけどね(苦笑)。ヒットアンドアウェーとかでキレイに勝ちたいんですけど、気持ちが前に出て、行っちゃってますね。
――山口選手の気質として、バチバチやり合うのは。
山口 嫌いじゃないです。普通に楽しいですね(笑い)。
――打ち合いの中で笑みが浮かぶシーンをよく見ます(笑い)。
山口 よく言われます(笑い)。でも、アマチュアでは、そういう打ち合いも、アウトボクシングも両方できたんで。
――いつか両方を使い分けられるのが自分の強みと言っていましたよね。それが本来の山口選手のボクシングですか。
山口 そうですね。ここから先はディフェンスをより意識して、相手や状況に応じて、戦い方を使い分けられるといいですね。
■重里とは絶対にやると思っていた
――1年前の重里選手との最強挑戦者決定戦も激闘でした。今回はチャンピオンと挑戦者の立場になりますが、次の再戦にはどんな思いがありますか。
山口 前回が引き分けだったんで、今は自分がチャンピオンですけど、立場的には同じイメージというか。次こそ白黒はっきりつけて勝ちたいという気持ちが強いですね。
――試合後、控え室の扉越しに重里選手が「まだ決着はついてない。またやろう」と山口選手に声をかけていましたね。
山口 言ってましたね。
――どのように聞いていましたか。
山口 次、(重里と)やることはなかったんで、高山選手のことしか考えてなかったんですけど。でも、いつか絶対にやるだろうな、とは思ってました。
――もし、そのまま高山選手に挑戦して勝っていたら、次は指名試合ではないから、重里選手との再戦が実現するにしても少し時間がかかるところでした。
山口 でも、唯一、勝ててない試合なんで、僕も引っかかるところはあったし、結局はやることになるだろうな、と。
――自分の出来、相手の印象、どう振り返る試合ですか。
山口 練習してきたことを思ったように出せなかったですね。次は練習していることをしっかり出せば、普通に勝てると思ってます。
――出せなかったのは山口選手自身の問題だったのか、出させてもらえなかったのか。
山口 もちろん、向こうがうまかったのもあるとは思うんですけど。挑戦者決定戦だったんで、気負い過ぎたな、と思います。
――再戦に勝つポイントは、お互いに相手を知った上で、どう生かして、どう相手を上回るか、と言われます。
山口 そこが面白いところですね。相手も自分のことは分かってるんで、次はどうやってくるのか、どっちが上をいくのか。確かに(重里は)うまいですけど、そこまでやりづらさはなかったんで、さっきのディフェンスとか、自分がダメだったところは修正して、プラスするところはプラスしてきたんで。それを出せれば。
■初防衛してこそ、チャンピオン
――今回はアンダーカードに弟の友士(ゆうし)選手が出場します。プロで一緒に試合をするのは初めてですよね。
山口 あ、そうですね。いつかはやりたいな、と思ってたんですけど、(三迫貴志)会長が決めてくれて。アマチュアでも一緒に試合をすることはほとんどなくて、僕が初めて国体に出たとき以来ですかね。(佐賀・杵島商業高校3年の)友士も少年(の部)で出たんで。
――佐賀県チームとして。
山口 はい。まあ、小っちゃい頃から一緒に練習してきて、大学は同じで、高校は違ったんですけど、家で一緒に練習してたんで。一緒にチャンピオンになりたい、というのはありますね。
――小さい頃からずっと一緒に。
山口 はい。最初は僕が保育園のときに少林寺(拳法)を始めて。それから友士も。
――ボクシングは?
山口 僕が小5のときだったと思います。で、小2、小3ぐらいからは極真空手も習い始めて。少林寺は“型”がメインなんですけど、防具をつけて、寸止めで組み合うやつもあって、そっちのほうが楽しかったんで。月・水・金は少林寺、火・木は空手を。
――対人でやり合いたい、と。
山口 はい。打ち抜くほうをやりたくて(笑い)。
――空手は高校の(3つ上の)先輩でもある保坂剛(三迫)選手と一緒で支部が違った。
山口 あ、そうです。剛くんが福岡で、僕が佐賀の道場で、一緒に練習することもあって。で、剛くんがボクシングに行き始めたんで、僕もやりたくなったのと、体が小っちゃかったんで、階級があるボクシングを空手の先生も勧めてくれて。
――福岡の柳川高校のボクシング部の道場ですよね。
山口 そうです。最初の頃はまだボクシング部があって、土日に高校の道場で練習してたんですけど、そこの古賀(秀樹)先生がやめることになって、柳川でYBSボクシングジムを立ち上げてからはジムで。親に車で1時間ぐらいかけて送ってもらってました。
――保坂選手と一緒に。
山口 一緒にやってました。
――ボクシングはやる前から何かイメージはありましたか。
山口 ボクシングは結構、テレビとかで見てて。長谷川穂積さんが好きで、試合も2、3回ぐらい観に行きました。親と一緒に神戸、名古屋に。
――佐賀から。お父さんも好きで。
山口 はい。ボクシングとK-1は見てましたし、大晦日はずーっと格闘技でした(笑い)。
――この8月に日本フライ級王者になった野上(翔)選手(RK蒲田)は、友士選手の1学年上で小、中、高と一緒に練習して、大会にも一緒に出た間柄ですけど、仁也選手とは?
山口 小、中と一緒に練習してて、高校は分かれたんですけど、大学のときも(野上は拓殖大学)一緒に練習したこともあるし、今もたまにご飯に行ったりもします。
――こうして同時に日本王者になっているのもすごいことですね。
山口 佐賀出身で。あまりないですよね(笑い)。
――次、初防衛してこそ、チャンピオンとよく言われます。
山口 その気持ちはあります。ドローだったし。でも、この1年、タイトルマッチを経験したし、僕のほうが絶対に濃かったと思うんで、1年の差も見せて、勝ちたいですね。
――この1年、重里選手は試合をしていないですけど、ここに懸けてきたとも言えます。
山口 そうですね。でも、それもひっくり返して、僕が圧倒するところを見てほしいです。
