現役時代の具志堅用高が最も信頼を寄せたトレーナー、渡辺剛さんが2月5日に特発性肺線維症間質性肺炎のため亡くなった。故人の遺志により家族葬が営まれた。享年77歳。約22年間の闘病生活を送っていたという。

在りし日の渡辺さん
渡辺さんは千葉生まれの東京育ち。エディ・タウンゼント・トレーナーに師事し、二十代だった1970年代初期にロサンゼルスに長期滞在し、今は伝説となったメインストリートジムを拠点にして指導者としての修行に励んだ。
帰国後協栄ジムのトレーナーとなり、沖縄出身のフリッパー上原を指導したことから、同じ沖縄出身でプロに転向したばかりの具志堅用高も担当することになった。「当時協栄ジムにはトレーナーがおらず、自分から渡辺さんにお願いして教えてもらうようになった」(具志堅さん)。渡辺トレーナーは「100年に一人の天才」と言われた逸材に米国スタイルのボクシングを教え、具志堅は1976年にプロ9戦目でWBA世界J・フライ級チャンピオンになった。さらに13度防衛の記録樹立する間も渡辺トレーナーは具志堅を支え続けた。
「渡辺トレーナーの教え方は全然違ったね。基本を徹底して教え、ガードとリズム――この2つの言葉を練習でも試合中でも口にしていた。このアドバイスを守ったからこそ、ハイメ・リオスらの強敵にも勝つことができたんです」と具志堅さんは語り、師を偲んでいた。

具志堅さんのパンチを受ける渡辺さん
ボクシング・ビート誌の前身である「ワールド・ボクシング」が創刊された1982年からは、「具志堅用高ボクシング教室」を同誌で長期連載したこともあった。また、具志堅さんが1995年に白井・具志堅スポーツジムを設立した際には、渡辺さんをチーフ・トレーナーに迎えていた。
アポロ嘉男こと度紀嘉男さん(元東洋J・ライト級王者、現アポロジム会長)は、ロサンゼルスでトレーナー修行中の渡辺さんと出会い、師弟関係を築いた。「僕の兄貴分のような人。帰国後も渡辺さんがトレーナーとしてついてくれていたら、世界チャンピオンになっていたと思います」と3度挑戦してついに世界タイトルに届かなかったアポロ会長はこう語っている。
渡辺さんは自宅に近い草加有沢ジムでも教え、岩淵真也(元日本S・ライト級王者)や、後にアマの全日本チャンピオン、佐藤昭一(専修大)らを初期の頃に指導した。



