2020年6月24日水曜日

1980年代に輝いた黄金の中量級 Part4 
復帰のレナードが帝王ハグラーと12Rの死闘

 シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーによって勃発した1980年代の中量級のバトルはいよいよ大詰め。レナードが復活をはたし、ついにミドル級の帝王ハグラーと拳を交えることになった。

レナードとハグラーは前哨戦も白熱

 1980年のレナードvs.デュランで幕を開けた黄金の中量級は、“主役”とも言えるレナードが網膜剥離を患って82年に引退。84年にカムバックしたものの1試合だけで身を引いた。

 しかし、物語はこれで終わりではなかった。1986年3月、ミドル級統一王者ハグラーはウガンダの“ザ・ビースト”ジョン・ムガビに11回TKO勝ち。この試合をリングサイドでテレビ解説したレナードが触発され、現役復帰を決意したのだ。

ハグラー(奥)の受けたショックは大きかった

 ハグラーは最初、この試合に乗り気ではなかったと言われる。さらにレナード陣営はリングの広さ(より広く)、グローブの大きさ(8オンスから10オンス)、ラウンド数(15ではなく12)を変更するように主張し、これを押し通してしまったのだ。

 ミドル級王者ハグラーは、2000万ドル(約24億4000万円)と言われた高額のファイトマネーと引き換えに、多くの譲歩を強いられたと言えようか。レナードの報酬は1200万ドル(14億6000万円)と伝えられる=いずれも1ドル122円換算。

 こうして1987年4月6日、シーザースパレスでWBCミドル級タイトルマッチのゴングが打ち鳴らされた。

 パワーのハグラー、スピードとテクニックのレナードという構図そのままに、ハグラーが追いかけ、レナードが脚を使って翻弄するという立ち上がり。レナードは距離が近くなると即クリンチ、挑発的な仕草も見せてハグラーを苛立たせようとした。

 ラウンドごとにラスト30秒でまとめ打ちし、頭脳的に戦っていたレナードだが、ハグラーの圧力を受け続け、さすがに終盤は疲労の色が隠せなくなる。一方、前に出てレナードをつぶしにかかるハグラーにも決定打は出なかった。

 迎えた最終12回、レナードは休みを入れながらアリシャッフルや、ノーガード戦法、いきなりの高速コンビネーションで観客にアピール。採点の難しい試合ながら、ジャッジは115-113、118-110、113-115の2-1でレナードを支持した。

 30歳で番狂わせを起こしたレナードは歓喜のガッツポーズ。V13に失敗した32歳のハグラーは試合前の駆け引き、採点を含め、すべてに納得がいかなかったことだろう。この試合を最後に現役を退いた。

ハーンズ(左)は2度ダウンを奪ったが…

レナードvs.ハーンズ2はS・ミドル級で

 ハグラーに勝利したレナードは1年のブランクを作ったあと、再び現役ロードを歩み始める。88年11月にはドン・ラロンデをストップしてWBC・S・ミドル級王座を獲得。この試合に空位の同L・ヘビー級王座がかけられたのはいまだ不可解だが、レナードはこれで5階級制覇を達成したことになった。

 そして迎えたのが同じく5階級制覇していたハーンズとの再戦だ。1989年6月12日、WBC・S・ミドル級王者レナードとWBO同級王者ハーンズが激突した。

 8年ぶりの再戦でリベンジに燃えるハーンズは3回、レナードからダウンを奪って気を吐く。ここからレナードが立て直して試合運びのうまさを発揮するものの、ハーンズは11回にもダウンを追加。最終回はレナードが攻勢に出て終了のゴングとなった。

 読み上げられたスコアは113-112、112-113、112-112と三者三様のドロー。ハーンズのリベンジはならなかったが、クラスを上げた両者の対戦はなかなか見ごたえがあった。

レナード(左)とデュランの第3戦

最後はレナードvs.デュラン3

 黄金カルテットの最終試合は1989年12月7日、WBC・S・ミドル級王者レナードと、WBCミドル級王座に就いていたデュランの第3戦だ。

 デュランが「ノ・マス」(もう続けたくない)と試合を放棄した第2戦から9年たった第3戦のキャッチコピーは「ウノ・マス」(もう一度)。デュランは最後まで戦ったものの往年の迫力はなく、レナードが120-110、119-109、116-111で大差判定勝ちを収めた。

 こうしてのちにレジェンドとなる4人のバトルは幕を閉じた。ただ強ければいいというわけではない。ライバルの存在があってこそ、スターたちはより一層輝きを放つのだ。現代のロマチェンコを筆頭とするライト級、クロフォード、スペンスJr、パッキャオらがひしめくウェルター級でも当時のような争いが実現することに期待したい。=おわり=


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