【動画あり】復活期す比嘉大吾 坂&公園トレで強化
2020年6月4日 15時30分
2020年6月4日 12時30分
日本のトップコンテンダーが世界の厚い壁に跳ね返された試合も印象深い。世界チャンピオンはこんなにも強いものなのか…。衝撃の1ラウンドKO特集、第4回は「挑戦失敗編」をお届けする。
日本ライト級王者の高山将孝は1974年12月21日、中米コスタリカの首都サンホセでWBA同級王者“石の拳”ロベルト・デュラン(パナマ)に挑戦。のちにレナードやハーンズ、ハグラーと名勝負を演じる中量級の“レジェンド”デュランだが、高山を迎えたこのころが全盛期だったと言えよう。
デュランは試合開始のゴングと同時に高山に襲い掛かった。ジャブ、左右のアッパー、右ストレートを絶え間なく繰り出し、開始50秒に右を打ち下ろして高山をキャンバスへ。さらに右、左フックでダウンを追撃し、1分55秒でデュランのTKO勝ちとなった。
日本屈指のテクニシャンだった高山は「(短くても)十分です」と敗者の弁。このときのデュランは手が付けられないほど強かった。日本のファンはテレビを通して「強すぎる…」と言葉を失ったものである。
日本S・ウェルター級王者だった上山仁は1992年12月21日、アルゼンチンのブエノスアイレスでWBA同級王座決定戦でフリオ・セサール・バスケスと対戦。パワフルなサウスポー、バスケスにグイグイと押し込まれ、左をもらって3度のダウン。KOタイムは2分59秒だった。
上山はこの後、日本タイトルを守り続け、20度の防衛に成功。再び世界のチャンスは訪れなかったが、名日本チャンピオンとしてボクシング史に名前を刻んだ。
1994年3月2日、東京体育館で2階級制覇王者、WBA・J・フェザー級王者ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑んだのは日本同級王座を2度防衛、無敗の葛西裕一だった。
攻守にバランスの取れたスタイリッシュなボクサー、葛西の王座奪取に期待が集まったが、バスケスが開始40秒、葛西の左に右を合わせると、葛西は尻からダウン。さらに右アッパーでキャンバスに転がると、最後はバスケスの猛攻にあい、ロープに崩れたところでフィニッシュ。タイムは2分55秒を指していた。
このあと再起した葛西はOPBF王座を獲得し、96年にはWBA王者アントニオ・セルメニョ(ベネズエラ)に挑み惜しくも判定負け。再戦でも敗れ、グローブを壁につるした。引退後はトレーナーとして数々の王者を育成した。バスケスはこの王座を9度防衛、のちにフェザー級も制して3階級制覇を達成した。
世界挑戦で初回KO負けを喫し、その後世界チャンピオンに到達した唯一の日本人選手がフライ級の内藤大助だ。
02年タイに乗り込んだ内藤は王者ポンサクレック・ウォンジョンカムに挑戦。スタートから果敢に攻めたが、左カウンターを食らって大の字に。失神して10カウントを聞いたタイムは34秒。これはフライ級世界戦の最短KO記録となった。
その後、04年の日本タイトルマッチで小嶋武幸を24秒KOで下して日本タイトル最短KO記録をマークした内藤は“最短男”をアピールしてキャリアを重ねることになる。
07年7月18日、後楽園ホールで防衛を17まで伸ばしていたポンサクレックに3度目の挑戦。磨いてきたスタミナを武器にフルラウンド戦い抜き、歓喜の世界タイトルを獲得した。
悪夢の秒殺劇から5年。リング上でヒーローインタビューを受けた内藤は何度もほっぺたをつねり、「夢じゃないかと思って…」と涙。後楽園ホールのファンから温かい拍手が送られた。
最新の初回KO負けは2018年8月25日、米アリゾナ州グレンデール。S・バンタム級で日本、OPBF王座を獲得した大竹秀典がWBO同級王者アイザック・ドグボエ(ガーナ)に挑戦したものの1回2分18秒TKO負け。2度目の世界挑戦は実らなかった。
=第5回は近日公開=
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