元IBF・S・ウェルター級王者モリナが自主興行
5.23故郷メキシコで無観客戦
2020年5月3日 15時26分
2020年5月3日 10時12分
6階級制覇王者マニー・パッキャオは日本のゴールデンウイークにあたるこの時期に忙しくリングに上がっている。本企画で触れたフロイド・メイウェザー戦(2015年5月2日)のほか、フアン・マヌエル・マルケス第1戦(2004年5月8日)、リッキー・ハットン戦(2009年5月2日)、シェーン・モズリー戦(2011年5月7日)がそうだ。
初回に3度ダウンを奪いながらドローに終わったマルケス戦はその後、4度にわたるマルケスとの名勝負につながっていくが、今回はハットン戦を取り上げたい。
フライ級でキャリアをスタートさせたパッキャオは常識を覆す階級アップを繰り返した。極めつけは08年、驚きの2階級アップでオスカー・デラホーヤに挑み、圧巻のストップ勝ちを披露した試合だった。ミドル級を制して史上初の6階級制覇を達成したスーパースター、デラホーヤに引導を渡し、世界中を驚かせた次の試合がハットン戦だった。
デラホーヤ戦はウエルター級契約で行われたが、その前の試合をパッキャオはライト級で戦っている。当時、パッキャオの適正階級はS・フェザー級あたりという意見も多く、S・ライト級で最強と言われたハットンが相手では「勝利するにしても苦労するのではないか」というのがオーソドックスな見方だった。
しかし、勢いに乗ったパッキャオは私たちの常識のはるか上をいった─。
イギリスから大応援団を率いてラスベガスに乗り込んできた人気者、ハットンは初回から体格差を生かしてグイグイと前に出た。パワーなら負けない。圧力でパッキャオを飲み込んでしまおう。そんな気持ちがありありと感じられた。
パッキャオは脚を使いながら、右を合わせていく立ち上がりだ。ラウンド中盤、右フックでハットンにダメージを与えると、なお前のめりのハットンに右フックが直撃。英国人がキャンバスに崩れ落ちると、試合開始前から大盛り上がりだったアリーナがこれでもかと沸いた。
畳みかけるパッキャオに対し、ハットンはクリンチでエスケープを試みる。しかし、残り10秒、パッキャオの左が炸裂し、イギリスの人気者は突き落されるように背中からキャンバスにダイブ。立ち上がって辛うじてゴングに救われたものの、もはやプライドを見せるのが精いっぱいだ。
2回、ハットンは鉄のハートで奮闘。しかし、パッキャオがハットンをロックオンするのは時間の問題だった。残り10秒の拍子木が鳴ったとき、その瞬間は訪れた。パッキャオは重心をやや左に移すと、外角からわずかにカーブを描いた左をハットンのアゴにピンポイントで打ち込む。背中からバッタリ倒れたハットンは失神、昏倒。ケニー・ベイレス主審は即TKOを宣告した。
「我々の作戦はワンパンチだった。それが勝敗のキーだった」
パッキャオは試合後、自信満々に言い放った。威力、軌道、タイミング、どれをとっても完璧な一撃だった。酷な言い方ではあるが、ハットンの倒れ方もまた劇的だった。この歴史的な一撃は、ハットンが真っ向勝負を挑んだからこそ生まれた、ということも書き記しておくべきだろう。
この試合を機に、パッキャオはウェルター級でのファイトを本格化し、ビッグネームを次々と撃破していくことになる。このときパッキャオは30歳。振り返ればこのころが全盛期だったとつくづく思わせる試合だった。
https://www.youtube.com/watch?v=B_oGVyiTpN4(KOシーンはこちらから=トップランクYouTube)
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