元世界王者の伊藤雅雪に飯田覚士さんが聞く 未練なき引退と胸躍る新たな人生と
2022年9月19日 17時31分
2022年9月19日 15時20分
往年の名選手で引退後はテレビ解説者、評論家として活躍した矢尾板貞雄さんが13日午後17時頃都内の病院で亡くなったことが分かった。86歳だった。
東京都渋谷区出身。元日本&東洋フライ級チャンピオン。1959(昭和34)年に不敗王者パスカル・ペレス(アルゼンチン)との無冠戦に判定勝ちし、ペレスの連勝記録を51(ボックスレック)でストップした。これにより一気に名を知られ、当時白井義男がペレスに王座を奪われ世界チャンピオンが1人もいない中、ボクシングというジャンルを超えて知られる大スター選手となった。
同年11月に大阪で改めて世界を懸けた試合でペレスに挑んだが、13回KO負けで王座獲得ならず。その後も世界のトップ選手として活躍し、62年に2度目の世界挑戦が決定したが、その直後に突然引退を表明してリングを去った。所属の中村ジム中村信一会長との確執から大胆な決断をしたものだった。終身戦績は66戦53勝7KO11敗2分。
その後はスポーツ紙記者としてボクシングと競馬を担当する傍ら、フジテレビのボクシング中継で長く解説を務めた。また同時に三迫ジムのトレーナー、辛口の評論で知られ、「矢尾板さんに書かれたら仕方がない」と関係者もあきらめた。選手への技術的アドバイスも積極的に行った。
矢尾板さんは先月26日に倒れ、入院していたが、13日になり容体が悪化し、帰らぬ人となった。死因は「左小脳出血」という。葬儀はすでに家族葬として営まれている。
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