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12.12 関根翔馬が日本タイトル初挑戦 37歳“負け越しボクサー”波瀾万丈の物語

2023年12月7日 13時42分

「選んでもらって光栄だなと思うし、感謝したいですね」。負け越しの挑戦者は語る。デビューから苦節13年、37歳で初のタイトルマッチに臨む日本S・ライト級6位の関根翔馬(ワタナベ/6勝2KO7敗2分)。12月12日、後楽園ホールで日本同級王者の藤田炎村(三迫/28歳、11勝9KO1敗)に挑む。自ら「強くて、勢いがあって、華がある」と称える強打の王者に対し、ボクシング人生の「集大成を見せる」と意気込む。

町田トレーナーのドラムミットにパンチを打ち込む関根

「人生を左右する分岐点」と位置づけるリング。1年前の12月もキャリアの崖っぷちにいた。ボクサーライセンスを失効する37歳の誕生日が3ヵ月後に迫り、初のランカー挑戦に現役続行の望みをかけた(今年7月、年齢制限は撤廃)。

 ドミニカ共和国出身で日本タイトル挑戦経験もあるデスティノ・ジャパン(ピューマ渡久地)にダウンを喫するも粘り強く戦い抜き、2-1の判定勝ち。さらに今年6月の日本ランキング改定によりタイトル挑戦圏外から挑戦圏内に入り、舞い込んできたのが今回のチャンス。「正直なところ、自分で大丈夫なのかな、という思いもあった」が、「この流れに乗りたい」と決意を固めた。

 昨年8月、町田主計トレーナーは湯場海樹(ワタナベ)とともに藤田と対戦。湯場がいきなり2度倒すものの、逆に2度倒し返され、派手な4回逆転TKO負けを喫しているが、「あのときよりスキがなくなってきた」と王者の成長を認める。コンディションを万全に「力をすべて出し切ることが大事」と健闘を誓いつつ、「秘策も準備している」と全力でサポート。前日本ライト級王者で総合力の高い宇津木秀、日本S・ライト級2位で強打者の関根幸太朗、同門の実力者2人とのスパーリングにも鍛えられてきた。

「ボクシングに対しても、人生に対しても、自分は不器用な男」と関根は言う。「目の前の1日1日を懸命に生きてきて、僕は今、ここにいる」と。「集大成」に込めた思いのたけを聞いた。《取材/構成 船橋真二郎》

■渡辺会長の一言で動き出したボクシング人生

 JR五反田駅西口の電車が行き交う線路沿い。ワタナベジムが現在の場所に移転したのは9年前、田口良一が世界初挑戦でベルト奪取を果たす直前の2014年11月のことだった。線路を挟んで真向かいにあった前のジムを知る現役は「気がついたら」ほとんどいなくなっていた。ジム生え抜きのプロでは、今や関根がいちばんの古株になる。

 デビューは24歳だが、ジムに入門したのは19歳。ボクシングを始めたのは14歳のときで、さらに5年さかのぼる。タイトルマッチにたどり着くまで20年以上、プロになるまでも10年という長い道のりがあった。

 アニメ『はじめの一歩』をテレビで見たことがきっかけになった。「自分も気が弱いところがあったので」。母子家庭で、いじめられっ子だった主人公がボクシングを通して強くなっていく姿が「カッコよくて、憧れた」という。

 当時は代々木にあり、自宅から近かった白井・具志堅ジムに入会した。高校2年になって、ジムが杉並の西永福に移転してからも「プロへの憧れ」を胸に自転車で往復2時間弱かけて通い続けた。

 が、17歳を過ぎても声がかかることはなく、なおさらジムへの行き帰りが遠く感じられるようになる。卒業からしばらくして新宿の協栄ジムに移ったが、当時は佐藤修、坂田健史が世界を争っている時代で、サーシャ・バクティンや佐々木基樹、瀬藤幹人など、トップボクサーがひしめく環境では、ジムの目に留まることはなかった。

 関根は初めてボクシング専門誌のジム広告を調べ、片っぱしから都内のジムを自分の目で見て回る。昔懐かしいジム探しの王道だが、こうして行き着いたのがワタナベジムだった。「うちで見てあげるよ」。見学する関根に声をかけてくれたのが渡辺均会長だったという。「ここでやってみたいな」と心が動いた。そこから本格的にプロボクサーの道を歩き始めるはずだった。

 20歳になった頃だった。海外で事業を起こし、ずっと離れて暮らしていた父親が病気で亡くなってしまう。残された母親と妹、3人の生活を考え、仕事に力を注いだ。できる限りジムには通っていたが、「自分が家族を支えないといけない」。責任感との狭間で揺れ、「どうしたらいいのか分からなくなった」。

 やがてジムから完全に足が遠のいた頃のことだった。アルバイト先の買い物に出た渋谷の店先で渡辺会長と偶然、会った。「お前、今、どうしてるんだ?」。ニコニコしながら訊かれ、少しだけ事情を話した。しばらく「うーん……」と黙り込んだあと、ニコッと笑顔を浮かべて渡辺会長は言った。

「関根、ボクシングをやれよ」。その一言が「グサッと胸に刺さった」という。奥底にあった本心をずばり言い当てられたようで、返す言葉は出てこなかったが、その場で心は決まった。

「ずっと母親と妹と3人暮らしで、父親がいなくて。男として、どう生きていけばいいか分からないなって、子ども心にずっと思ってたんですけど……」。たまに遠距離電話で話す程度だった父親には、最後まで「聞くに聞けなかった」答え。渡辺会長の一言が生きる指針になったのかもしれない。

「会長は覚えてないと思いますけど、もし、あのとき、あの言葉がなかったら、ボクシングはやめていたかもしれないです」

 2010年12月に念願のデビュー。それから13年で迎える大舞台。予想は大きく王者に傾くが、その渡辺会長は11年前、佐々木左之介(ワタナベ)がのちの日本5階級制覇王者・湯場忠志(都城レオ)を4回TKOで下すアップセット劇で日本ミドル級王座を奪取した例を挙げ、「何があるか分からないのがボクシング。ベテランがひっくり返しますよ」と期待を込めるのだ。

関根(右)と同門の前日本ライト級王者宇津木

■「このチャンピオンとやる」と直感した

――日本タイトル挑戦が決まったときは?

関根 いや、それは嬉しかったですよね。1月に日本ランキングに入ったときは「やった、生き延びたぞ!」みたいな感じだったんですけど。そのときは15位で、まだタイトル圏外で。

――そうでしたね。

関根 もう1、2戦挟まないと、そういう話はないだろうなと思っていたら、6月に日本ランキングが改定されて、(それ以前は15位以下もランキングされていた)15位以内になって。一気に9位に格上げされたんですよ。

――ランカーが少なかった分(当時10名)、繰り上がった。

関根 はい。で、8月の藤田選手の初防衛戦を見たときによぎったんです。あ、次は自分だって。試合会場にいて、チャンピオンがインタビューで「次は選択防衛戦になる」と言うのを聞いて、「あ、次、このチャンピオンと自分がやることになるんだ」って、決まる前に直感してたんですよ。

――王座決定戦の初防衛戦は指名防衛戦で、次は選択防衛戦になるから。

関根 その時点で僕が候補のひとりなのは確定じゃないですか。

――S・ライト級の日本ランカーは三迫ジムの選手が多くて。で、上位にいた李健太(帝拳)選手、アオキクリスチャーノ(角海老宝石)選手は最強挑戦者決定戦が決まっていたし(10月8日に李が判定勝ち)。

関根 じゃ、自分じゃん、みたいな(笑い)。

――直感通りに話が来たときは?

関根 「おお! やった!」って。でも選んでもらって光栄だなと思うし、感謝したいですね。チャンピオンは強くて、勢いもあって、華もあるじゃないですか。そういう相手に自分が選ばれるんだと思って。ありがとうございます、と。それは今でも思ってますね。

――試合間隔としては1年空くことになりますが、かなり前からタイトルを意識して練習してきたわけですか。

関根 でも、6月までは意識してなかったですね。というのも、ずっと身内で飲食店をやってたんですけど、潰れちゃったんですよ。

――モツ焼き屋さんでしたか。

関根 焼きとんのモツ煮丼なんですけど、去年の12月には(店主の)義理の兄弟から話があって、4月に(閉店が)決まって。しばらくはそっちのほうに追われてたので、なかなか試合する方向にならなかったですね。

――6月いっぱいで閉店になったそうですね。それまでは時間も取れなかったし、気持ちも向かなかった。

関根 はい。で、試合間隔が空いちゃったんですけど。

――でも、お店のことが一段落ついて、ランキングが改定されて。6月を境に一気にタイトルマッチの方向に流れが向いた感じがしますね。

関根 あ、それは感じてますね。やるべくしてやる方向に持っていかれてるというか。だから、この流れに乗りたい、と思って。

――逆らうことはないですよね。

関根 はい。もちろん結果は神のみぞ知るで、当日にならないと分からないですけど、それを恐れてちゃ何もできないんで。相手は強いし、僕が九十何%負けると予想されるのは分かってるんですけど。

――どうしても不利な予想にはなりますよね。

関根 絶対になると思ってます。正直なところ、怖いですし、自分で大丈夫なのかな、という思いもあったんですけど、ここで逃げたら、今まで何のためにやってきたのかなってなるし、ボクシング人生の終着点を見失っちゃうな、と思って。もうやるしかない、と。

デスティノジャパンに勝利してガッツポーズ

■「応えたい」という気持ちが強い

――デスティノ・ジャパン戦も終着点になるかもしれない試合でしたよね。

関根 はい。前回もそうです。僕、減量末期になると情緒不安定になることが多いんですよ。食料と水分を摂らなくなってくるから。あそこ(ジムの隅)でバイクを漕いで、クールダウンしてるとき、みんなが一生懸命、練習してる風景が目に入るじゃないですか。それを見てたら、「今回で最後になるかも」というのがよぎって、うるうるしてきちゃって。

――それはデスティノ戦の直前に?

関根 はい。「もう、やめたい」って思うぐらい、厳しい練習をやってきたんですけど、「みんな、頑張ってるな、この風景を見るのも最後になるかもな」とか。いろんなことがよぎって。

――だからこそ、最後にしたくないという気持ちが強くなった。

関根 それはありましたね。

――今回のタイトルマッチに向けては、これまでと違う気持ちはありますか。

関根 自分自身に関しては、そこまでタイトルマッチだからっていうことを考えないようにしてるというか、あまり意識はしてないです。

――自分自身に関しては?

関根 はい。藤田選手に勝ちたいとか、そういう気持ちのほうが強いです。デスティノのときも「ランキングに入る」とか、あまり考えてなくて、「この試合にかけたい」という思いでやってたんで。ベルトとかは、あとからついてくるものだと思ってて、そこに意識を向け過ぎると、いい結果は生まれないのではないかな、と思うんで。ただ、何を意識しているかと言ったら、前回よりも応援してくれる声が少しだけ多くなった気がするんですよ。

――そういう周囲の声が伝わってくる。

関根 はい。頑張ってほしいというのが伝わってくるんで、それに応えたいという思いですね。前回は「引退前だからって、なんでこんなマッチメイクをするんだ」とか、「大勝負とか言って、ケガするなよ」とか、いろんなことを言われて。口には出さなくても、負けると思ってるのが伝わってきたんで。

――そんな空気を感じた。

関根 ひしひしと感じました。でも試合に勝ったら、みんなの反応が違って。お店をやってるときは、たくさん会いに来てくれたし、みんなが「頑張って」「頑張って」ってなったんで。何て言うか……。励まされましたね。だから、みんなをもっと喜ばせたいな、と。ほんとにそう思ってますね。

――純粋に周囲の応援の声を受け止められるようになったんですね。関根選手にとっては、もちろん大きな1勝であり、自信にもなったんじゃないですか。

関根 なったと思います。今回は今回で自分の人生の分岐点だと思ってるんですよ。勝てば勝った道ができるし、負けたら負けたで次の人生が待ってるし、自分の運命の日になるのかなって。どうなるのか結果は分からないですけど、それまでの時間をどう過ごしたかでも変わってくると思うんで。最後まで大事に過ごしたいと思ってます。

――1日1日、大事に過ごすことだけを意識して。

関根 そうですね。あとは、みなさんに応えたい。むしろ、そっちの気持ちのほうが強いかもしれないです。ワタナベジムに来て、渡辺会長、前の石原(雄太)トレーナー、町田トレーナー、会員さん、選手。自分は、みなさんに育ててもらったと、ほんとに感謝してて。かけてもらった言葉、してもらったこと、そういうもので今の自分は存在してるんで。「ここに来て、よかった」という思いを形にして伝えたいですよね。

■不器用な男の集大成

――藤田選手に対しては、どういう印象を持っていますか。

関根 自分とは対照的な人物ですよね。早稲田大学という高学歴で、大きな会社に勤めてるエリートということなんで。学歴、職歴、ボクシングの経歴、戦績、いろいろ含めて、自分とは……。

――正反対というか。

関根 はい。正反対なタイプかなって。記事とかで見ただけで、話したこともないし、そんなことないと本人は言うかもしれないですけど。ボクシングも早稲田で始めて、18歳からトータル10年でチャンピオンですよね?

――彼は20になる歳に始めているので9年ですか。

関根 結構、(出世)スピードが速いじゃないですか。僕は亀みたいに地道にやってきて、転げ落ちて、また登って、みたいな感じで、ここまで来たので。

――それに対して、何か思うところが?

関根 正反対ということですか? いえ、別にないです。人は人と思ってるし、ボクシングに対しても、人生に対しても、自分は不器用な男なので。でも、長く続けることも才能だと思うんですよね。僕はデビューしてから12年目でようやくランキングを取れましたけど、その時間、ずっとボクシングをやって、目の前の1日1日を懸命に生きてきて、僕は今、ここにいるので。

――14歳から始めて、はじめは目をかけてもらえなかったり、家族のことがあったり、なかなか勝てなかったり、いろいろある中で続けてこられたのは?

関根 この戦績だから、あまり偉そうなことは言えないんですけど、自分にボクシングがなくなったら、逆に何があるんだろうと思うんですよね。次の朝も早く起きて練習するから、早く寝なくちゃとか、食べ物にも気を遣わなきゃとか、僕は遊びにも行かなかったし。それもボクシングがあったから、律することができてるんだな、とか思って。今、思うのはボクシングが自分の支えになってきたんですよね。

――何が支えというより、ボクシングが人生の支えになっていると。

関根 そうです、そうです。自分の柱になってる気がします。ただ、支えと言えば、トレーナーがそうです。やっぱり、戦績と年齢で評価される競技で、僕は負け越しボクサーだから、もうダメだろって、周りに言われたこともあるし。だから、担当の町田さん、その前の石原さんには、ほんとに感謝してます。練習を付きっきりで見てくれますし、「勝たせてやりたい」という気持ちが、口には出さなくても伝わりますから。

――この思いに応えたいという気持ちも。

関根 思ってましたね。この思いに応えるんだって。言わないけど、ずっと思ってたし、それがあるから、意地でやってきた部分もありました(笑い)。

――だからこそ、気持ちを形にして伝えられる試合にしたいと。厳しい試合にはなると思いますが、どのように勝機を見いだしていきますか。

関根 向こうはKOを狙って、圧倒的勝利を目指してくると思ってるんですよね。来年のチャンピオン・カーニバルに向けて、僕のことを踏み台にして、圧倒的な強さをアピールしたいと思うんで、距離を潰して来ると思うんですよ。

――要は倒しに来るだろうと。

関根 はい。近い距離で打ち合う展開になるんじゃないかなと。僕も接近戦は好きなタイプだから。

――そこでどう勝負できるか。

関根 そうですね。小さなミスをしてもダメだし、どれだけ向こうの強打に耐えられるかもポイントになると思います。

――宇津木(秀)選手、関根幸太朗選手とスパーリングで手合わせした経験もポイントになりそうですね。

関根 いや、ほんとに。試合当日、面食らわなくて済みそうだし、気持ちも違いそうじゃないですか。俺はこれだけボコられてきたんだぞって(笑い)。

――自信を持って挑める。

関根 筋トレと同じで、負荷をかけたらかけただけ、人間って適応しようとするじゃないですか。ぬるま湯に入るんじゃなくて、熱い湯に飛び込む気持ちで、強い相手にぶつかって行こうと思って。2人とも快く受けてくれたんで。

――では、最後に次のタイトルマッチ、どのような試合を見せたいですか。

関根 そうですね。自分の人生の分岐点になる日なんで。もちろん勝つ気でやりますけど、結果は当日、神のみぞ知るで。この日は、ひとつのことを長く続けてきた不器用な男の集大成になると思ってるんで。自分が培ってきたもの、すべてを出して、見ている人に何かが伝わるような試合にしたいですし、自分のボクシング人生の集大成を見せる、その意気込みでやります。

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