下町俊貴、強打ディパエンに3-0判定
2025年4月29日 19時48分
2025年4月29日 19時37分
新日本木村ジムのトレーナーを長く務めた石井敏治さんが28日朝、東京・町田市の自宅で老衰のため亡くなった。96歳だった。教え子たちだけでなく、多くのボクシング人から慕われ尊敬を集めた「ボクシング界の良心」のような存在だった。
石井さんは東京都出身。戦後間もなく新和ジムに入門し、早い時期から選手ではなく指導者の道を歩んだ。当時重量級のトップ選手だった辰巳八郎(元日本&東洋ウェルター&ミドル級王者)のトレーナーとなった。日本初の世界王者となった白井義男のアルビン・カーン博士とも親交を結び、本場アメリカのボクシング知識を吸収した。
1961年に教え子の木村七郎氏がジム(現新日本木村ジム)を設立すると、しばらく後に請われてトレーナーに就任。小熊正二(元WBC世界フライ級王者)や坂本孝雄(元日本ウェルター級王者)ら多くのボクサーを指導した。
また1984年に木村氏が全日本ボクシング協会(現日本プロボクシング協会)の会長に就任して間もなく、日本ボクシングコミッション(JBC)が世界に先駆けすべてのプロボクサーに対しライセンス取得時にCTスキャンによる頭部検査を義務づけたが、業界代表として木村協会長がこの歴史的決断を支持した裏には、石井トレーナーが参謀役として大きな影響を及ぼしていたことが知られている。
温厚で思慮深い紳士として知られ、日本ボクシングコミッションにも請われて助言することもたびたびあった。
石井さんは長時間の通勤に耐えられなくなった15年にトレーナーを引退後も、自宅に近い川崎新田ジムをのぞき、選手にアドバイスを送り続けた。またその傍ら専門誌のボクシング・ビートでコラム「トレーナーの眼」を長期間執筆し、自らの経験を伝え続けた。
プロのトレーナーではあっても、生活をボクシングに依拠せず、特殊紙を扱う企業のサラリーマン、後に重役として長く勤めた。夫人の幸子さんによると、晩年も長患いすることなく元気に過ごしていたという。なお葬儀は家族葬として営まれるとのことだ。
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