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埼玉県のジムから12年ぶりの日本王者誕生 チームで戦うRE:BOOTジムの石井渡士也と射場哲也会長

2025年5月18日 13時51分

 埼玉県のジムから実に12年ぶりとなるチャンピオン(男子)誕生だった。4月22日、東京・後楽園ホールで日本スーパーバンタム級王座決定戦を制し、新王者となった石井渡士也(RE:BOOT、24歳)のことである。

 「埼玉のふじみ野市の小さいボクシングジムに自分を含めて、女子日本バンタム級チャンピオンの山下(奈々)、日本ユース・バンタム級チャンピオンの金城(隼平)、チャンピオンが3人います。これはなかなかないことだと思うんですよ。会長に大きな拍手をお願いしていいですか?」(石井)

 「こんなに小さいジムじゃなかったら、もっと早くチャンピオンになっていたかもしれない……。ずっとついてきてくれて、感謝しかないです」(射場哲也・RE:BOOTジム会長)

 劇的な最終10回TKO勝ちで福井勝也(帝拳)をストップ。大きな拍手と歓声が降り注がれたリングで感極まった射場会長(48歳)の姿も印象的な戴冠劇だった。

 その涙の背景には、まだ石井が15歳、射場会長が38歳の頃から築き、固く結ばれてきた信頼関係があった。《文・船橋真二郎》

4月22日の王座獲得戦で福井に右ストレートを決める石井㊨

 「埼玉のジムからは久しぶりのチャンピオンで、多分、小野寺洋介山以来になるんじゃないかなと思うんですけど」。射場会長に尋ねられ、あらためて調べ直した。

 小野寺洋介山は第32代の日本スーパーライト級王者。テンガロンハットがトレードマークの“名物会長”渡辺治会長が大宮市(現・さいたま市)に開いたオサムジムの所属。2009年4月4日、世界挑戦を挟んで13連続防衛の階級記録を打ち立てた名王者、木村登勇(横浜光)に判定勝ちで記録の更新を阻んだ。2度防衛後の2010年4月12日、亀海喜寛(帝拳)に9回TKO負けで王座から陥落している。

 だが、記録をたどると岩渕真也が2012年2月13日にベルトを巻いていた。草加市の草加有沢ジムの所属で小野寺の4代あとの日本同級王者。王者の和宇慶勇二(ワタナベ)に7回KO勝ちで王座を奪取。2013年2月11日、のちに第41代日本同級王者となる細川バレンタイン(宮田=当時)の挑戦を8回TKOで退け、3度目の防衛を果たすと東洋太平洋王座挑戦決定を機に同年3月2日付で王座を返上した。

 以降、歴代の東洋太平洋王者、また歴史の浅いWBOアジアパシフィック王者をたどっても、長らく埼玉のジムからチャンピオンは出ていなかった。埼玉の強豪・花咲徳栄高校の先輩・岩渕後の空白を後輩・石井が埋めたことになる。草加有沢ジムも今年3月で歴史を閉じ、オサムジムともども現在はないことにも時の流れを感じる。

 「『会長に拍手してください』って、ずっとやりたかったんですよ。ほんとは2年前にやる予定ができなくて。今回できて、ほんとに嬉しかったです」(石井)

 2年前とは、当時の日本スーパーバンタム級王者・下町俊貴(グリーンツダ)に挑み、アゴを骨折しながらもフルラウンドの激闘を戦い抜いた末に引き分けた自身初のメジャータイトル挑戦。ジムとしては富岡樹(現・角海老宝石)を擁し、中谷正義(井岡=当時)、吉野修一郎(三迫)、ライト級トップの牙城に挑んだ2度を含め、4度目の挑戦での悲願達成だった。

 「もし、トシヤを日本チャンピオンにすることもできなかったら、オレはもう辞めたほうがいいのかなと思ってたぐらい、ずっと張りつめてたんで。ほんとによかったです」(射場会長)

日本タイトルを獲り、射場会長と

 2人の出会いは石井の高校入学直前にさかのぼる。中学1年になる頃、東京・立川のフィットネスのボクシングジムでグローブを握り、花咲徳栄高校への進学を決めた石井は埼玉のジムに入り直そうと「出稽古に来たことがあった」という当時のREBOOTジムに入る。

 同じ埼玉とはいえ、学校のある加須市とふじみ野市では生活圏がまったく異なる。それでも石井は毎日、高校の練習を終えると電車を乗り継ぎ、片道1時間半かけてジムに通い続けた。しかも最寄りの上福岡駅から徒歩1分とかからない現在のジムとは違い、徒歩15分ほどの距離もあった。

 「あの根性ハンパじゃないですよ。部活が終わってからだから、夜の7時ぐらいにジムに来て、9時ぐらいまで練習して、また電車で帰って。で、寮じゃなくて、高校の近くにアパートを借りて、一人暮らしをしてたんで、そこから自分でご飯を食べて、洗濯して。それを3年間、やり通しましたからね」

 そう振り返った射場会長も石井の熱意に全力で応えた。

 「そんな遠い道のりをジムに通って来るんで。『毎回、この子に何かを持ち帰らせないと』ぐらいの気持ちでミットをやってました」

 その日々は高校3年のインターハイ準優勝に結実する。ちなみに決勝の相手は先頃、ニューヨークのタイムズスクエアでのデビュー戦が話題になった習志野高校1年の堤麗斗(志成)だった。

 こんな小さな埼玉のジムじゃなく、大手のジムに行ったほうがいい――。結果を残した石井の周囲は騒がしくなったという。石井はきっぱりと射場会長に伝えた。

 「オレは射場さんのところでチャンピオンになります」

チーム・リブートで石井の戴冠をよろこぶ

 福井戦後のリングで「トシヤにいろんなものを背負わせすぎちゃって……」と涙で声をつまらせた射場会長は言った。

 「責任感が強いんで、普段のジムの練習だったり、何でも自分が先頭に立って、ジムを引っ張っていかなきゃという思いが強くて。そのおかげで、みんな強くなってるんですけど」

 以前、石井が言っていたことが思い出された。

 「自分にタイトルがほしいというよりも、まだRE:BOOTジムにチャンピオンがいないんで。ジムにほしい、会長にあげたい、というのがあります。今、ジムの選手では自分が一番上なんで。一番上がジムを引っ張らないといけないというのはあるし。身近な人が結果を出せば、自分も頑張ればいけると思うじゃないですか。みんなにそう思ってほしいなって」

 そんな石井を中心に「みんなでサポートし合って、すごくいいチームになっている」と目を細めた射場会長。「うちはチーム力で戦っていきたい」。その通り、選手同士でミットを持ち合い、交代でマスを回し合うなど、ジムにはチーム一丸の空気があふれる。

 「今後は自分のために上を目指してほしい」。射場会長は愛弟子に謝意を表し、古巣の三迫ジム・小原佳太のマイアミでの世界挑戦者決定戦、モスクワでの世界挑戦をチーフトレーナーとして支えるなどしてきた豊富な経験を注ぐ。

 まずは今夏、昨年9月のタイトル初挑戦で下町に判定負けも、終盤のダウンで一矢報いた同い年の指名挑戦者、津川龍也(ミツキ)との初防衛戦で再び真価が問われる。

 射場会長は埼玉県坂戸市の出身。埼玉への思い入れは強い。月に1回、埼玉のジムと定期的に合同練習会を開く。目指すは埼玉・熊谷ジムの工藤政志以来となる世界王者の誕生だ。

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