日本語

Home > Feature > 名勝負プレイバック オスカー・ラリオスvs.仲里繁 
2003.4.26 “剛腕”仲里が王者のアゴ砕くも及ばず
Feature

2020年4月26日 日曜日

名勝負プレイバック オスカー・ラリオスvs.仲里繁 
2003.4.26 “剛腕”仲里が王者のアゴ砕くも及ばず

沖縄の期待を背負って

 沖縄返還から5年後の1976年、具志堅用高が沖縄県出身選手として初の世界王者となった。具志堅のあとにも沖縄勢の活躍は続き、隆盛はしばらく続いたが、1992年の平仲明信(WBA・J・ウェルター級王者)の世界タイトル獲得を最後に、その勢いは少しずつ衰えていった。

2003年4月26日、仲里繁は故郷の大きな期待を背負って両国国技館のリングに上がった。WBC・S・バンタム級王者オスカー・ラリオス(メキシコ)への世界初挑戦が決まると、故郷の元世界王者、浜田剛史と平仲明信の両氏が臨時コーチに就く。沖縄ボクシング関係者にとって、仲里の世界王座獲得は悲願だったのだ。

仲里(左)は序盤の劣勢から巻き返した

 序盤は長いリーチとテンポの良さが自慢のラリオスが優位に立った。軽快に動いてジャブ、右ストレートで主導権を握る。仲里も4回終了間際、左フックを打ち込んでラリオスに目の色を変えさせた。

「浜田さんから右アッパーがくるから左フックを合わせられると。イメージしていたからガチンと合わせられた」(仲里=ボクシング・ビート2018年3月号より)

人生初クリンチでピンチしのぐ

 最初の山が訪れたのは5回だった。ラリオスの強打を浴びた仲里がキャンバスに落下。これはスリップと裁定されたがダメージは明らか。立ち上がった仲里にラリオスが襲い掛かると、仲里が再び倒れ、今度はダウンとコールされた。

 アマチュア経験はなく、22歳でプロボクサーになり、日本タイトルマッチや重要な試合で敗れながら、しぶとくはい上がってきた“叩き上げ”はこのとき30歳。その強打が栄光への道を切り開くかに思えたが、経験豊富な実力者、ラリオスにはやはり及ばないのか…。あきらめかけた観客をよそに、仲里の闘争心は微塵も衰えていなかった。

「生まれて初めてクリンチをした」

 打ち合ってこそボクシング。己の辞書に「クリンチ」という言葉はない。しかし、窮地に陥ったファイターは本能的に相手の体に抱き着き、辛うじて絶体絶命のピンチを脱出する。これでふっきれたのか。仲里は本領を発揮したのはここからだった。

 活路は接近戦にあり。戦前に描いたプランはシンプルだ。上背のない仲里は軽くアゴを引き、上半身を動かしながら前に出た。多少の被弾は構わない。序盤とは違って追い足の迫力が違う。仲里のうなるような強打がラリオスをかすめるたびに、しぼみかけた期待が再び膨らんでいった。

 迎えた8回、クラス最強とも言える仲里の左フックがついに王者をとらえる。ラリオスのヒザはガクガクだ。一度は静まり返った両国国技館は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる。「ナカザトコール」が轟き、なお仲里はチャンスだ。

絶好のチャンスにハプニング

 仲里はもちろんラリオスに襲い掛かった。タフなメキシカンはダウン寸前。その時だった。残り10秒の拍子木をラウンド終了と勘違いしたラリオスのセコンドがエプロンに上がるハプニングが発生。主審がいったん試合を止めたため、挑戦者は絶好のチャンスを逃してしまうはめになった。

 それでも仲里は9回も攻め、ラリオスのアゴを砕いた。勝利はもう目前だ。しかし、手負いの王者もあきらめない。戦況を的確に把握し、フットワークを駆使して逃げ切る戦いにシフトチェンジした。仲里は懸命に追いかけたものの、ついに捕まえ切れず、試合終了のゴングを聞いた。

スコアは6ポイント差が2人、3ポイント差が一人。ポイント差ほどの印象を残さなかったのは、仲里がKO勝ちまであと一歩のところまで迫ったからだろう。この試合は2003年の年間最高試合に選ばれた。

ラストファイトとなったモンシプール戦

 類まれなファイティングスピリッツでファンを魅了した仲里は翌年3月、再びラリオスに挑むも判定負け。さらに05年4月29日、フランスのマルセイユでWBA王者マヤル・モンシプールに挑戦。初回からガンガン攻める仲里らしいボクシングを見せたが、6回TKO負けに終わり、現役生活にピリオドを打った。

 試合から15年後、仲里は次のように語っている。

「チャンピオンにはなれなかったけど、強いチャンピオンとできて、良かったなと思いますよね」(同)

 無骨という言葉がよく似合い、すさまじい強打と、決してあきらめないハングリーな姿は多くのファンの脳裏に強く焼き付いた。記憶に残ったボクサーは現在、沖縄でボクシングクラブナカザトを運営し、長男の周磨をはじめ後進の育成に励んでいる。

Related

関連記事