4.3ウズベキスタン 岩佐亮佑がアフマダリエフと統一戦
WBA・IBF王座かけ「ボクシング人生最大の大勝負」
2021年3月16日 14時15分
2021年3月16日 12時05分
ホルヘ・リナレス(帝拳)の日本でスタートしたプロ生活は足かけ20年になる。その間、52試合戦い、3階級を制覇した。来日時17歳だったあのリナレスが帝拳ジムで最も古株になった事実には驚かされるが、さらにすごいのが「今一番強い」と評判が高いことだ。そんなリナレスが重要試合に臨む。5月15日、WBCライト級王者デビン・ヘイニー(アメリカ)に挑戦する予定だ(場所未定)。勝てば5度目となる世界王座奪取である。=ボクシング・ビート4月号より=
――「今のホルヘが一番強い」と本田会長が言っています。
ホルヘ ワオ! 素直にうれしい!
――自分でもそう感じますか?
ホルヘ はい。この8月で36歳、長いキャリアを紡いできた私としては素直にうれしい言葉。モチベーションが上がります。私のボスであり父である会長の言葉だから最高! なぜなら、会長の私に対する願望でも激励でもなく本当に私を分かって言ってくれているから。今、ベストの状態を実感する私が聞けばすごくよく分かります。これは事実です。
現在の私の最強の武器、それは私に動機を与え、刺激し、戦い続けろと奮い立たせるもの。日本語で表現するなら「サムライ・スピリッツ」かな。日本に受け継がれてきた正々堂々とした戦いのスピリッツ。
私のボクシング・キャリアの原点は日本。ベネズエラから日本、日本からアメリカ、アメリカからイギリス、そして再び日本という私が辿ったキャリアを見つめた時、私にとっての日本回帰は、心の安定の中でピュアな精神やみなぎるパワーを再認識させます。そして、私をゼロという原点に引き戻してもくれました。
――これだけ長く続ける秘訣は?
ホルヘ 52戦というのはたしかにランキング・ボクサーとしては長いキャリアです。幼少時代の父の導きがあり、その後日本での学びに恵まれ、国際レベルのトレーナーからの指導にも恵まれました。ジムだけでなく実戦からも多くを学びました。
私のキャリアに残る5敗のうち3敗は1、2ラウンドでの決着。負けましたが深いダメージを負うことはありませんでした。パンチの蓄積がなかったことで、皆さんの目にはフレッシュな状態に映るのでしょう。
ワシル・ロマチェンコ戦では、ルーク・キャンベル戦で骨折した私の肋骨を相手は当然攻めてきて、試合は残念な結果に終わりましたが、もらったパンチは少なく、試合後のダメージもありませんでした。ダメージが浅ければ回復は早く、すぐに戦線に戻ることができます。
ボクシングは12ラウンドの戦争です。過剰なパンチの蓄積はやがて脳や神経に深刻なダメージを与えます。
――若い頃からシャープなパンチと動きを維持できるのはなぜ?
ホルヘ ジムは我が家同然で、月曜日から土曜日までジムで過ごします。毎朝パンを食べるのと同じ感覚。毎日大好きなボクシングをするのは、子どもの時から変わらない日常です。ジムがなければ生きていることを実感できないくらい。ジムのおかげで、若さやパワー、能力やモチベーションが保たれています。
――以前「もうこれ以上のスピード増は望めない、今のスピードを維持することが重要」と話していました。
ホルヘ その通りです。この年齢でさらなるスピード増を身体に強いる練習はできません。……
いまのスタイル、来日時の思い出、ロマチェンコ戦秘話、ヘイニーとのスパーリングなど、ホルヘ・リナレスがたっぷり語った2時間。ロング・インタビュー全文は発売中のボクシング・ビート4月号に掲載しています。
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