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ライオン古山大いに語る~ビート10月号飯田対談より

2023年9月22日 13時07分

 いまから半世紀前に「ライオン古山」の名前でリングに上がっていた古山哲夫さんは、類を見ないハードパンチとタフネスを武器に活躍した人。日本、東洋のジュニアウェルター(現スーパーライト)級王者となり当時15回戦だった世界タイトルマッチも3度、計45ラウンズを戦っている。引退後しばらくしてライオンズジムを開き、以来40年近く。この4月に初の日本王者が誕生した。飯田覚士さんがライオンズジムを訪ねる。《ボクシング・ビート10月号より》

飯田 本日はよろしくお願いいたします。古山会長は現役時代にすごい人たちと戦っていて、ネットではいまも激闘が熱く語り継がれています。
古山 いろんな思い出がありますよ。デビュー戦は昭和42(1967)年か。

――当時の笹崎ジムはファイティング原田を筆頭に繁栄したジムでしたね。
古山 ええ、向かうところ敵なしでしたね。

飯田 やはり原田さんがジム頭で皆が盛り上がっていったのでしょうか。
古山 もちろんです。原田さんが世界チャンピオンで、海津(文雄)さんが東洋チャンピオン、牛若丸(原田)が日本チャンピオン。そのほかランキングボクサーが4人も5人もいたんだから。

飯田 ジムには活気があって。
古山 活気あるなんてものじゃない、サンドバッグを叩くのに「次俺、次俺」と予約制ですよ。

飯田 順番待ちですか。
古山 いまじゃ考えられないね。スパーリングも、いつもジムの中に相手がいましたよ。そういう環境だから強い選手が出て当たり前だよね。

飯田 いまなら「僕なんてまだ早いです」と遠慮する選手もいるでしょうけども。
古山 本当、そういう時代ですよ。昔はオヤジ(笹崎会長)が「お前とお前やれ」と言ったらそれで決まり。

飯田 のし上がりたい、這い上がりたいという選手たちばかりが集まってるんですね。
古山 何しろ競争ですよ。皆がライバル。まったくすごい時代だったね。

飯田 当時の練習の激しさ、現在と比べるといかがでしょう。
古山 練習は時間をかけりゃいいってもんじゃないんだけど、つまりは集中力じゃないのかな。いまの子たちは練習中に携帯見てみたりさ、そういう時代ですよ。ああいうの見たら腹が立っちゃう、情けないっちゅうか(笑い)。

飯田 サンドバッグを順番待ちして、いま自分がこのバッグを独占しているんだから3分間でどれだけやるか、と。
古山 それが集中力だよね。成長するには、そういうところじゃないのかな。集中しないと頭に入らないですよ。目いっぱい集中して練習して初めて身につく。俺はそう思いますけどね。まあ、俺の時代も言われたんだけどね、「いまの若いやつらは」って。この言葉は永遠に引き継がれるんですよ。

飯田 よくその言葉を聞きますけども、間違っちゃいないと思うんです。やはりそれなりに楽なほう、緩いほうへと変わっていってるのかなと思うので。
古山 そうなんですよ。さみしい思いもするけどね。

飯田 でもその中で集中している選手はやはりチャンピオンになるし。それこそ井上尚弥みたいに。
古山 そこですよ、違いは。ああいう選手が出てくるんだから。

飯田 そんな中、ライオンズジムにもチャンピオン(高田勇仁)が誕生しました。
古山 そうですね、なんとか。30数年やって(苦笑)。

飯田 高田くんには最初から素質を感じましたか。
古山 感じました。うちの勇仁の場合は、ボクシングのセンスね、いいものを持っていました。

飯田 少し勝てない時期があって、そこでスタイルチェンジをしたと聞きますが。
古山 そんな極端なスタイルチェンジをしたわけじゃないんだけどね、一時の成長をする段階において脱皮したんだな。ここ一番の精神的な面がやはり大きいんじゃないかな。ボクシングそのものがそこまで変わったわけじゃない。

飯田 メンタル、それはどのあたりが最も変わったのでしょう。
古山 自信ですよ。練習においても、内容が全然変わってきました。自信を持ってやる、その違いじゃないですかね。..

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