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鈴木雅弘が「アウェーの戦い」で学んだこと フィリピンのOPBFライト級戦でドロー

2023年10月19日 9時54分

 去る10月7日、フィリピン・マニラで、空位の東洋太平洋ライト級王座獲りを狙った同級3位、鈴木雅弘(角海老宝石)の“挑戦”は引き分けという結果に終わった。同11位のサウスポー、ロルダン・アルデア(比)に対し、最終スコアは日本人ジャッジの池原信遂を含めた2者が114対114でイーブン、残る1者が116対112でアルデアを支持する0-1だった(2者はフィリピン人ジャッジ)。

 8回終了時に公開(アナウンスは9回の途中)されたスコアでは2-0(77対75×2、76対76)で鈴木がリードしており、終盤に追い上げられた形。試合から1週間。鈴木は何度も「悔しい」と口にしながら、プロ初の海外試合を振り返ってくれた。《取材・文 船橋真二郎》

鈴木雅弘。左目上の眉間寄りに縦にカットした傷が残る

「8(ラウンド)までリードはしてましたけど、お互いに決定打もなかったですし、自分が取り切ったと確信を持てるラウンドもなかったので、僕の中では正直、(ジャッジの)見方次第だったのかな、と」

 本人の率直な感想、わずか2ポイントのリードが示す通り、終盤を迎えるまでは鈴木のやや優勢という展開で進んだ。けん制し合い、間隙を突くように鈴木がワンツー、右アッパー、アルデアは左ストレート、右フックなどで時折、ヒットは奪うものの、散発的でじりじりとした戦いが続いた。が、鈴木としては意図を伴った展開ではあったのだという。

 アルデアが基本的に待ちの構えで、踏み込み際や打ち終わりに左を合わせにくるのに対し、サウスポーの左から遠ざかる左寄りに位置取りし、もらわないこと、打ちにくくさせることを意識した。それが同時に自身の右の距離も遠くすることは承知の上。さらにあえて流れを“切る”ことを選んだ。

「ワンツーの後につなげようとも考えたんですけど、つなげて相打ちになったり、攻めて、攻められて、ごちゃごちゃした展開になると(ポイントを)持っていかれるかな、と感じたので。打ったら、くっつくか、もらわない場所に脚だけ運んで、“自分が攻めて、終わる”ということを徹底しました」

 その中で「(決定打が)当たったら、行こう」と常に狙ってはいたのだが……。

前日計量をクリアし、日の丸を背に掲げて笑顔(角海老宝石ジム提供)

 展開が動いた、というより空気が変わったのは8回だった。両者が同時に踏み込んでワンツーを打ちに行った際に頭がぶつかり、7回にアルデアが左側頭部、8回には鈴木が左目上の眉間寄りをカット。前に出て、攻めの姿勢を見せ出したアルデアに、それまで歓声を上げるシーンがほとんどなかった地元観衆が沸き始める。

 試合会場のエロルデ・スポーツセンターは狭く、天井が低いため、歓声が大きく反響した。それ自体は「なんか騒いでんな、ぐらいで気にならなかった」が、アルデアが背中を押されるように「乗ってきたのが嫌だった」という。実は意図して流れを切ったのは、その歓声を上げさせない狙いもあった。

 選手の控え室ならぬ“控えスペース”は、客席の後方に仕切りのない状態で設けられていた。アンダーカードの間、観客の視線も含め、直に会場の空気を感じられた。もちろん、思った以上に歓声が響くことも。

 それでも8回はアルデアが入ってきたところに右、左とボディを打ち込み、鈴木にも手応えがあった。9回からは「前に出て潰そう」と意識を変えた。両者のアクションが増え始めた。

 一方で互いに前に出るため、組みつくような格好になるシーンも増え、鈴木が再三の注意をレフェリーから受けた。何度目かの注意で「次は減点」とプレッシャーを感じた10回が「自分の中で大きな分岐点」になったという。

ベルトを挟んで闘志をぶつけ合ったが……(角海老宝石ジム提供)

 それ以降、どう攻めるのか、立ち回るのか、「考える時間が増えた」。特に応援に駆けつけてくれた弟・稔弘(志成)がエプロンにかじりつき、「人生変えるぞ! 頑張れ!」と声援を送った最終12回を逆に明白に取られた。最後の最後に「飲まれてしまった自分が悔しい」と鈴木は振り返る。

「アウェーじゃなければ、勝っていたかもな」

 そう周囲に声をかけられることがあるという。実際、レフェリーがケガを理由に当日に交代になったり、いつの間にか前座が1試合なくなっていて、試合時間が大幅に繰り上がった上、セミが77秒で終わり、バタバタとウォーミングアップしたり、レフェリーの一方的な注意に、パンチが当たっていなくても相手に上がる歓声など、日本で試合をする分には「平和で、クリーンで、守られているんだな」と感じたことは多々あった。

 が、話に聞くだけでなく、肌でアウェーを感じられたことに「大きなキャリアになった」と感謝する。試合後は観客に囲まれ、「ナイスファイト」と声をかけられたり、記念撮影を求められたりもした。特定の選手の応援ではなく、純粋にボクシングを楽しんでいる環境で試合ができたことも嬉しかったという。そもそも「アウェーも“込み”で勝ちに行った」自身の決断に後悔は一切ない。

会場後方の控えスペースの様子。客席との仕切りはない(角海老宝石ジム提供)

 成田空港に着いたのは試合翌日の夜9時頃。試合当日の夜から翌日はもちろん、東京に帰ってからも、ほとんど寝られなかったという。マニラのホテルで、帰りの機中で、帰り着いた自宅で「悔しくて、ヒマさえあったら試合の動画を見ていた」。ようやく眠りについたのは翌朝だった。

「どこかで自分のペースを崩して、無理やりでもペースをつかみに行ったほうがよかったんじゃないか」と考えることもある。だが、答えがひとつではないのがボクシング。あの日、選択した戦い方にも後悔はない。ただひとつ、鈴木が心残りなのが「アウェーの感じに飲まれて、自分に負けた」終盤。その中でも最終12回だけは「動画を早送りして、見れないぐらい悔しい」という。

 確かに1ラウンドでもひっくり返れば、結果は変わっていた。12回に限らず、セコンドの示唆ひとつで「どこかのラウンドは取れていたはず」と、コンビを組む田部井要トレーナーも届かなかった1ポイントの答えを考え続けている。

 引き分けという結果を受けて、両陣営は再戦の方向で動いているという。フィリピンになるのか、日本になるのか、現時点では分からないが、大きな悔しさと経験を糧にして、「次こそは必ず決着をつける」と鈴木は誓っていた。

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