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沖縄の王者・仲里周磨語る 飯田覚士さんと対談

2023年11月17日 9時40分

 11月7日、日本ライト級王者・仲里周磨が上京した。チャンピオンカーニバルの表彰式に出席するためである。タイトルを獲得した宇津木秀(ワタナベ)戦で「沖縄のジムから21年ぶりに誕生した王者」となっただけでなく、仲里は見事カーニバルの「最優秀選手賞」を受賞。またひとつ箔が付いたチャンピオンはクリスマスイブに地元沖縄で行う初防衛戦(対村上雄大)にますます燃えている。《構成:船橋真二郎/ボクシング・ビート12月号より》

飯田 最初は、あの仲里繁チャンピオンの息子が出てきた、ということで。大注目で。
仲里 あ、新人王の時ですか。

飯田 新人王の時もだし、俺はね、アマチュアで息子が活躍しているというのは聞こえてきてた。
仲里 あ、ほんとですか。

飯田 うん。で、プロになるって聞いて、お、いよいよと思って。その頃はどんな感じだった?
仲里 デビュー当時ですか。そうですね、プロをなめてましたね。すぐに日本チャンピオンぐらいにはなれると思ってました(笑い)。

飯田 おお。
仲里 でも新人王の決勝戦で拳を痛めて、手術をして。そこからはブランクがあったんですよ。

飯田 そうだったよね。
仲里 そこから大変でした。復帰してからも全然、試合勘が分からなくなって。2、3年はイマイチな試合ばかりしてましたね。

飯田 自分ではないような感じ?
仲里 そうですね。納得いくような試合ではなかったです。

飯田 でも、デビュー前から経験があった。アマチュアでは?
仲里 最高でベスト8でしたね。インターハイで(高校3年時)。

飯田 戦績は何戦?
仲里 49戦して38勝11敗でした。

飯田 それだけキャリアがあるのにケガでブランクをつくったことで崩れちゃった。
仲里 全部、崩れちゃいました。もう4回戦とスパーリングしても、めっちゃもらってたし。

飯田 ええ、どうして!?
仲里 いや、分からないですね。親父は「何やってんだ!」みたいな感じでブチ切れるし、自分でも気持ちと体が一致しないというか。あの時は辛かったですね。

飯田 正確に言うとブランクは?
仲里 試合をしてないのは1年半ぐらいですかね。

飯田 あ、そんなに空いたんだ。
仲里 はい。復帰戦ではタイ人を倒したんですけど、まだ完全には治っていない状態で三代(大訓)選手と決まって、初めて負けて、またガクッと。やっぱり負けると自信がなくなりますね。いろんなことを考え過ぎて、ボクシングが分からなくなりました。

飯田 そうだったんだ。
仲里 で、そこからボクシングを1からつくり直した感じです。

飯田 ああ。ブランクもあって、その後もしっくりこないし、で、なおかつ三代くんに負けて。もうボクシングを一新しようみたいな。
仲里 そうですね。

飯田 それは自分でそうするしかないという感じになったの?
仲里 まあ、そうですね。1回、振り切ったというか、頑張ろう、頑張ろうとしていたんですけど、「いったん辞めよう」みたいな、「もう、遊ぼう」みたいな感じで2、3ヵ月ぐらい休んだんですよ。

飯田 三代戦のあとに?
仲里 はい。それで少し気がラクになった。そのことに親父も納得してくれて、また1からゆっくりやっていこうということに。そこでちょっと区切りがつきました。

飯田 ああ、そうなんだ。
仲里 はい。やっぱりアマチュア上がりなんで、今のボクシングとかけ離れてて。アウトボクシングというか、それがゆえに接近戦があんまり得意じゃなくて。親父には絶対に接近戦は必要だからって、ずっと言われてたんですけど。

飯田 だよね。
仲里 でもアマでやってたから、どうしてもアウト気味になるじゃないですか。それがボクシングが崩れて、で、パンチをもらうようになって、1から接近戦の練習を始めました。

飯田 真逆の接近戦から。
仲里 はい。そこから結構、よくなりましたね。最近のボクサーも強い選手はいっぱいいますけど、そこまで接近戦がうまい選手は、あんまりいないと思うので。それが最近のキーにはなってます。.

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