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李健太がプロ王座獲得戦で証明したもの ビート7月号より

2024年6月18日 10時43分

 さる4月9日のタイトルマッチ。日本王者・藤田炎村(三迫)との一戦は、ファイター型対ボクサー型というだけでなく、プロ叩き上げとエリート・アマチュアの戦いという構図でもあった。藤田に10回判定勝ちした李健太にとって62連勝した高校時代以来となるタイトル。リングで李が証明したものとは……。《文:船橋真二郎/ボクシング・ビート7月号より》

 プロ8戦目、無敗でタイトルを奪取した控え室で笑顔を見せた。「とりあえず、ベルトは(今晩は)枕元に。マジで嬉しいです」

 4月9日、強打で台頭してきたチャンピオン、藤田炎村(三迫)とのカーニバル屈指の注目カードを文句なしの判定で制した。「頂点を獲れたのが嬉しかったです。日本一は10年ぶりぐらいになりますからね」

 アマチュア日本記録の62連勝と同時に高校6冠を成し遂げたのは2013年10月8日。高校3年の国体決勝だった。大学時代はケガにも泣かされ、無冠に終わった。プロ初めてのタイトルが久しぶりにつかんだ一番になったのだ。

 「自信はつきました。ちょっとですけど、やりたいボクシングができたので。今までリスクを冒すのが不安で、怖さもあったんですけど、それを今回、ちょっとだけ乗り越えられたと思います」

 テクニックとスピードに優れたサウスポーで、すらりと長い手足を利したアウトボクサー。それが李健太のイメージだった。実際は「もともと大学リーグ戦とかではケンカ(打ち合い)をしていた。けど、プロに馴染むまでは打ち合わないように徹底させた」というのが大和心トレーナーの証言。藤田の強力なアタックをフットワークでかわしながら、要所で頭をつけるようにインファイトを仕掛け、ボディーブローを効果的に決めた。

 「こういうこともできるというのは見せられたと思いますけど、結構ぐちゃぐちゃやったし、自分の理想は“賢いボクシング”なので。もっと完成形を目指します」

 世代別歴代最多タイとなる5人の世界王者を輩出するなど、才能がひしめく1995年度生まれの「黄金世代」を代表するひとり。この世代のトップボクサーの多くが小、中学生からキャリアを開始しているが、李の場合は違う。

 大阪府東大阪市の出身。最初に夢中になったのはサッカーだった。「センスはあったと思うし、冷静に周りを見て、ゲームメイクするタイプ」と言うようにポジションはフォワード、もしくはトップ下を任され、小学生のチームの中心を担った。が、プレー中に2度、交通事故で1度、度重なる負傷で右足首の靭帯が「ぐちゃぐちゃ」になる。回復はしたが、サッカーは断念せざるを得なかった。

 傷心の李にボクシングを勧めたのは6つ年上の兄だった。元大阪朝鮮高級学校ボクシング部顧問の梁学哲氏が開いていた「拳青会」での週1回の練習に中学1年から通い始めた。並行して学校の部活ではバレーボールを始めた。..

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