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世界奪取50周年の小熊正二会長に聞く ビート8月号飯田対談より

2024年7月14日 11時51分

 14日に福島県郡山市で50年ぶりのプロボクシング興行が開かれる。半世紀前にメインを務めたのがこの人、当地出身の小熊会長である。1974年の5月、現役世界フライ級王者のベツリオ・ゴンサレスにノンタイトル戦で挑戦した小熊さんはまだ無名の存在。しかし敗れはしたものの善戦が認められ、5ヵ月後のタイトルマッチで見事戴冠に成功した。その後8年間、世界のトップ戦線で戦った小熊さん、とくに6度目の挑戦で王座返り咲きを果たした朴賛希戦(80年5月)は戒厳令下の韓国に乗り込んでの一戦だった。小熊さんのようなケースはもう二度とないのではないか。《ボクシング・ビート8月号より》

飯田 きょうはよろしくお願いいたします。昔、『元気が出るテレビ』の収録に小熊会長が来られていて、実は僕にとって人生で初めて生で見た世界チャンピオンでした。花形進会長とか数人で来られていました。
小熊 あれはどこでやったのかな。

飯田 角海老ジムですかね、高田純次さんなどがいらっしゃったんです。西城正三さんもいたかも。
小熊 ほう、西城さんあまりそういうの顔を出さないんだよね。照れ屋だから。花形さんは4つぐらい上かな、西城さんも。俺結構若い時にチャンピオンになったから、23かな。

飯田 年齢的には若い。
小熊 そう、具志堅用高が4つぐらい下かな。具志堅もチャンピオンになるの早かったね。俺は全然、名前も皆が知らないうちに、あれよとチャンピオンになったから。

飯田 番組は1990年だったんですが、小熊会長が引退されたのは……。
小熊 昭和57(82)年が最後かな。

飯田 番組はちょうど日本人の世界挑戦連続失敗を大橋秀行さんがストップする頃です。ボクシング復興計画という意味合いの企画でしたが、小熊会長がチャンピオンになられた当時はその価値も現在と比べ物にならないでしょう。

小熊 そうね、俺は日本人で12人目かな。ポッと出たんだけど、運もあったんだよね。新人王の予選で負けた後ずっと連勝して、ちょうどその当時郡山に体育館(郡山総合体育館)ができたんです。そのこけら落としをするというので、木村七郎会長がチャンピオンのベツリオ・ゴンザレスをノンタイトルで呼んだ。

飯田 はい。
小熊 最初は判定で負けたんだけど、それで世界ランキングに入れてもらって、「次やったら勝てますよ、ヒット&アウェイでゴンザレスに勝てますよ」ということで、次タイトルをかけてやったら本当に勝っちゃった。あっさり世界王者になっちゃったんですよ。

飯田 それ格好よすぎますよ。
小熊 本当にそうなの。まだボクシングなんか深く知らない。俺アマチュアもやっていないし、東京に来て車の整備工をやりながら、ボクシングをやりたいと思って、高円寺あった木村ジムに入門したの。で、70年にデビューした。

――それにしても木村会長もノンタイトルとはいえ、よく現役チャンピオンを呼びましたね。
小熊 運がよかったのが、親戚が県会議員だったんだけど、体育館ができるからボクシングの試合をこけら落としでやりたいと。それで木村会長に話をして、急きょ俺の後援会をつくって、お金を集めてね。当時で何千万円かをつくってくれたんです。..

 対談記事全文は発売中のボクシング・ビート8月号に掲載しています。
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