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2014年5月27日火曜日

拳聖ピストン堀口 生誕100年祭 6.1茅ヶ崎

 昭和初期に活躍した“拳聖”ピストン堀口の生誕100年祭が今週末6月1日(日)午後3時半から、神奈川県茅ケ崎市総合体育館で開かれる。

 ピストンこと堀口恒男は大正3年(1914年)10月12日、栃木県芳賀郡に生まれた。ちょうどこのころ、日本ボクシングの父と言われる渡辺勇次郎が目黒・権之助坂下に日本拳闘倶楽部を開設。渡辺の演説に心を動かされた堀口少年が17歳で上京し、同倶楽部の門を叩いた。

 堀口が一躍勇名をはせたのは昭和8年の日仏対抗戦だった。早稲田大の学生だった18歳の堀口は、当時の欧州バンタム級王者でその4年前にはNBA(WBAの前身)の世界王者に輝いているエミール・プラドネル(フランス)を相手に大健闘。プラドネルの技巧とピストンのインファイトが激突し、結果は互いに譲らず8回引き分けながら、早稲田大戸塚球場に集まった3万人の大観衆を熱狂させた。

 打たれても打たれても前に出て手を出し続けるまさにピストンを彷彿させるスタイルは大いに受け、その後人気はうなぎ登り。そんな堀口に昭和16年、挑戦状をたたきつけたのが“槍の笹崎”こと笹崎僙だった。国技館で行われた試合は「世紀の一戦」と騒がれ、結果は堀口が5回に連打でストップ勝ち。この勝利によってピストンは“剣聖”宮本武蔵になぞらえ“拳聖”と呼ばれるようになったと言われている。この半年後、日本は真珠湾攻撃に踏み切った。

 ピストンは戦争が終わると再びリングに復活したが、昭和25年10月24日、自宅近くの馬入川鉄橋で列車にはねられるという不慮の死を遂げた。享年36歳。通算戦績は183戦142勝87KO26敗15分(数字には諸説あり)、レコードブックには不敗の42連勝、生涯87KO勝ちという記録が残っている。

 生誕100年祭はピストン堀口の長男で茅ヶ崎市にピストン堀口道場を開く昌信氏、孫の昌彰氏らが事務局となり「拳聖ピストン堀口・生誕100年祭実行委員会」が主催。当日は公式試合が行われるほか、大橋ジムの世界チャンピオン、八重樫東、井上尚弥、宮尾綾香がエキシビションを行う。