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“バターのように滑らかな” 名王者ナポレス死す

2019年8月17日 10時05分

 ラテンアメリカのレジェンドの一人で、世界ウェルター級王者に君臨したホセ・ナポレス氏が16日(日本時間17日)メキシコシティの病院で亡くなった。79歳だった。死因は糖尿病とアルツハイマー病が悪化したものといわれる。第一報はWBCマウリシオ・スライマン会長がソーシャルメディアで伝えた。

WBCのホームページより

 キューバ出身のナポレス氏は同国の英雄キッド・ギャビランに憧れてボクサーを目指し、アマチュア時代113勝1敗という驚異的な戦績を残して1958年8月プロデビュー。当時はバンタム級だった。

 61年、勃発したキューバ革命により、同胞ウルティミノ“シュガー”ラモスとともにメキシコに亡命した。亡命後はメキシコ国籍を取得。ライト級からS・ライト級のウエートでリングに上がり無敵の存在となった。

 しかし世界挑戦はなかなか実現せず、その強さから王者から敬遠され「無冠の帝王」と呼ばれる時期もあった。ようやく69年4月カリフォルニア州イングルウッドのザ・フォーラムでカーティス・コークス(米)に13回KO勝ちでWBA・WBC世界ウェルター級王座を獲得。この時29歳だった。

 コークスを返り討ちにして初防衛を果たすとエミリー・グリフィス、アーニー・ロペス、ヘッジモン・ルイス、ビリー・バッカス、アルマンド・ムニスら当時のトップクラスを下して防衛回数を伸ばした。一度バッカスに負傷TKO負けで王座を明け渡したが再戦で倒して王座に復帰。通算13度の防衛に成功した。

 日本との交流もあり、64年3月、シュガー・ラモスvs関光徳の前座で吉本武輝に初回KO勝ち。72年11月、和歌山で当時の東洋チャンピオン龍反町と2ラウンドのエキシビションを行い、その技巧を披露した。

キャリア終盤、ミドル級王者モンソン(右)と対戦

 75年12月、メキシコシティでジョン・ストレーシー(英)に6回TKO負けで王座を失い、これを最後にグローブを脱いだ。前年の2月、ミドル級王者カルロス・モンソン(アルゼンチン)に挑戦。ラテンの大物対決として話題となったが6回終了TKO負け。

 引退後は恵まれていたとはいえず、キューバ音楽のバンドで糊口をしのぐ時期もあった。その後WBCのサポートでメキシコ北部シウダーフアレスでトレーナーになり、若者たちを指導していた。

 しかし近年、健康を害し、何度かメキシコシティに移り治療に専念することがあった。攻防一体のボクシングは「マンテキーリャ」(バター)と呼ばれ、そのままナポレス氏のニックネームに定着した。

 父のホセ・スライマン会長時代から同氏と親交があるマウリシオ氏は「アディオス、ミ・カンペオン」(さよなら、私のチャンピオン)とツイートしている。ボックスレクなどによると終身戦績は81勝54KO7敗(ウィキペディアは76勝54KO8敗)。90年に国際ボクシング名誉の殿堂入りを果たしている。

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