フライ級統一戦計画 ダラキアンvs.マルティネス
8月中国開催が有力 ESPNノックアウト報道
2020年6月23日 12時50分
2020年6月23日 10時34分
レジェンドたちが死闘を繰り広げた1980年代中量級特集の第3弾。1980年代に始まったバトルは中盤戦を迎え、トーマス・ハーンズとマービン・ハグラーが驚異的な勝利でさらにリングを盛り上げることになった。
シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン、トーマス・ハーンズ、マービン・ハグラーによるバトルの“第5戦”は、WBC・J・ミドル級王者になったハーンズと元ライト級最強王者デュランとの対決だった。
1984年6月15日、ラスベガスのシーザースパレス。デュランはミドル級に上げてハグラーに挑んでから7ヶ月後の試合。ハーンズはレナードとのウェルター級頂上対決に敗れ、プロ初黒星を喫してから6連勝。J・ミドル級王者としてこの試合を迎えた。
まだ日が落ち切っていない屋外の特設リングで試合は始まった。長身のハーンズがジャブで先制すると、J・ミドル級でもシェイプされた肉体とは言えないデュランは持ち味の馬力を発揮できずに後退を強いられる。
初回残り30秒、ハーンズが強烈な右を打ち下ろすと、デュランはヒザを折ってキャンバスに落下。なんとか立ち上がったものの、終了ゴングと同時にニュートラルコーナーに歩み寄り、コーナーを間違えていることに気が付かないほどダメージを負っている。
クライマックスは近いとだれもが予感した2回、ハーンズはダメージの残るデュランに襲い掛かり、ロープに押し込んで猛攻。なんとかしのごうとしたデュランに対し、ハーンズが右を振り抜くと、失神したデュランが顔からバッタリとキャンバスへ。驚愕のKO劇がここに誕生した。
ハーンズのこの一撃は「ラスベガス恐怖の一撃」として後世に語り継がれることになる。まさに“ヒットマン”の名にふさわしいパフォーマンスだった。
そのハーンズがクラスを上げてハグラーに挑戦する─。ファン垂涎のゴールデンカードが実現したのは1985年4月15日のことだった。
WBC・J・ミドル級王者ハーンズはデュランを一発で沈めてから1年。この間に防衛戦を1試合はさみ、3階級制覇を目指してミドル級に進出した。一方の統一ミドル級王者“マーベラス”ハグラーはデュランを退けたあと、さらに防衛テープを2つ伸ばしていた。
サウスポーのハーンズがいきなり右フックを振るったのが合図だった。試合は探り合いなしで打撃戦に突入。両者ともに重厚なパンチをぶん回し、その迫力といったらない。互いにつっかけてクリンチも多く、主審のリチャード・スティールは大忙しだ。
2回になると、ハグラーは同じように前に出て、ハーンズは冷静に距離を取って戦おうと試みた。しかしミドル級の帝王、ハグラーの圧力はすさまじい。スイッチを繰り返して左右のパンチを叩き込み、ハーンズは打ち返すものの、パンチをもらってダメージをためていっているように見えた。
迎えた3回、ハグラーの右がハーンズのテンプルをとらえると、ハーンズがガクガクと足をばたつかせながら後退。ハグラーがすかさず追いかけて右を見舞うと、クリンチで逃れようとしていたハーンズはキャンバスに崩れ落ちて大の字に。辛うじて立ち上がったものの、スティール主審が試合を止めた。タイムは1分52秒だった。
ハリウッドのアクション映画でも、これだけスタートからこれほどフルスロットルで観客を興奮させることができるだろうか。この試合は80年代中量級バトルの中でも間違いなく名勝負の一つ。ハグラーの勝負強さには畏敬の念を、ハーンズの負けっぷりにも拍手を送りたくなるファイトだった。
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