ボクシング今日は何の日 長谷川穂積が無念、モンティエルとの名勝負に散る
2021年4月30日 11時11分
2021年4月30日 10時57分
今から54年前の1967年4月30日、アメリカ国籍の日系3世、藤猛(本名ポール・タケシ・藤井)が世界J・ウェルター級王座を獲得した。白井義男、ファイティング原田、海老原博幸に次ぐ国内で4人目の世界王者だった。
故郷のハワイで幼少のころからボクシングに親しんでいた藤は軍人となり、海兵隊員として横須賀基地などに配属され、除隊後に日本でプロデビュー。ハンマーパンチと称された豪腕を振り回してKOの山を築き、日本タイトルと東洋タイトルを獲得した。
その藤に世界タイトル挑戦のチャンスが訪れたのは67年のこと。チャンピオンはローマ五輪銀メダリストの技巧派、イタリアのサンドロ・ロポポロだった。下馬評で有利と伝えられたロポポロは初回、正確なジャブとフットワークで藤の強打を空転させ、うわさに違わぬ実力を披露した。
やはり世界タイトル獲得は厳しいのか――。だれもが不安を感じ始めた2回だった。藤がエンジンを吹かして前にでると、王者との距離が詰まり始める。そして前に出た藤が強烈な左フックを空振りし、間髪入れずに返した右フックがロポポロのアゴに炸裂。キャリア50戦で一度もダウンがないというチャンピオンがグシャリとキャンバスに沈んだ。
会場の蔵前国技館はバケツをひっくり返したような大騒ぎだ。立ち上がったロポポロに藤が襲いかかって2度目のダウンを奪うと、最後はロープ際でロポポロがグロッギー状態となり、セコンドがリングに上がって試合はストップ。KOタイムは2分33秒だった。
決して日本語が堪能ではなかった藤が勝利者インタビューで「岡山のおばあちゃん」と呼びかけて流行語にもなったが、実際に岡山に祖母が住んでいたわけではなく、日本人の共感を呼ぶために陣営の指示で発言したとも伝えられる。
藤は翌年、2度目の防衛戦でアルゼンチンのテクニシャン、ニコリノ・ローチェに敗れてタイトルを失い、70年の試合がラストファイトとなった。王座在位期間は短かったが、迫力満点のノックアウトと明るいキャラクターで愛され、多くのファンの記憶に残るボクサーだった。
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