元WBC世界ライト級チャンピオンで引退後はタレント、俳優として活躍したガッツ石松さん(本名鈴木有二)が6月2日に肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。76歳だった。自ら設立してオーナーを務めたガッツエンタープライズが11日に明らかにした。葬儀はすでに近親者のみで済ませている。

日本人初の世界ライト級王者・ガッツ石松
ガッツ石松は栃木県上都賀郡粟野町(現鹿沼市)の生まれ。中学卒業後に上京しヨネクラジム入りし、17歳でプロ・デビューした。この時は本名だったが、その後鈴木石松からガッツ石松とリングネームを変え、72年にピンチヒッターで出場した東洋ライト級タイトル戦で王者門田新一に勝ってタイトルを獲得。これを機にチャンスが開けた。
海外で2度の挑戦(2度目の相手はロベルト・デュラン)は実らなかったが、1974年4月11日、交通ゼネストのさなかに東京・蔵前国技館で行われたWBC世界ライト級タイトル戦で王者ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)に挑戦。ベテラン王者を圧倒し、最後は自称「幻の右」を決めて8回KO勝ちし、新チャンピオンとなった。
ライト級で日本人ボクサーが世界チャンピオンになったのはガッツ石松が初めて。その後も畑山隆則、小堀佑介しか出ていない。
1976年プエルトリコのサンファンでエステバン・デヘススに判定負けするまで5度王座を防衛した。通算51戦31勝17KO14敗6分。
東洋チャンピオン時代に弟の喧嘩に助太刀して8人の相手をKOしたとして逮捕された。この事件のイメージが強かったからか、ボクシングも喧嘩スタイルと誤解されることもあったが、実際は往年の技巧派米倉健司会長仕込みの右のボクサーファイター。ジャブのうまい基本のしっかりしたボクサーだった。70年代前半、先輩の柴田国明とともに世界チャンピオンとしてヨネクラジムの隆盛を支えた。

今年3月、大嶋拳闘倶楽部のジム開きで。「マイクを掴んでいないと立っていられない」と冗談をいっていたが
引退後はタレント、俳優として活躍し、個性的なバイプレーヤーとして多くのテレビや映画に出演。また自ら制作も手掛け、「カンバック」では主演と監督も務めた。96年には衆院選挙に自民党から出馬したが、これは落選。この時に抱えた3億円とも言われる借金を返済するためがむしゃらにテレビや映画に出まくり、これによりいっそう知名度を高めるとともに、借金も返済したという。
2010年には「プロボクシング世界チャンピオン会」の名称で引退した元世界チャンピオンの親睦会を設立し、24年に浜田剛史さんにバトンタッチするまで自ら会長を務めていた。去る3月8日、大嶋拳闘俱楽部のジム開きに招かれ挨拶した時が、公の場に現れたガッツさんの最後の姿となった。

