告知 ビート2月号発売 井上尚弥 2階級4団体統一特報号! だれも見たことのない世界へ
2024年1月15日 8時11分
2024年1月14日 17時22分
1年前、「海外でチャレンジしたい」と無冠のままアメリカに渡った元チャンピオンがアッと言わせる世界復帰をやってのけた。12月9日サンフランシスコのIBF女子バンタム級戦に代役出場し、王者エバニー・ブリッジス(豪州)を番狂わせの判定で破った吉田実代。日本のジムに所属して2度王座を獲っているとはいえ、アメリカに拠点を移してから負けも味わい、ブリッジス挑戦もアンダードッグの扱い。そんな吉田の快勝を想像したものがどれだけいようか。いや、アメリカでの成功さえも……。愛娘の実衣菜ちゃんと一時帰国中の彼女を訪ねた。《ボクシング・ビート2月号より》
飯田 まずビックリしたのがやっぱりアメリカに行っちゃったところだよね。
吉田 みんなビックリ、頭おかしくなったんじゃないかって言われます(笑い)。
飯田 何を思い立ったのかと……。どういう経緯だったの?
吉田 もともとが20歳で鹿児島からハワイに。自分を変えたくて海外に行くと決めて、格闘技の道場に住み込みで行って、ハマったんです。そこから総合、キックとやって、26でボクシングに転向しました。最初から海外が自分に合っているのはわかっていたんです。
飯田 うん。
吉田 日本で順調にやってたんですけど、やっぱ海外いいなぁとはずっと思っていました。コロナが起きて、移籍したりなんやかんやで、勝ったり負けたりしている時、もう日本タイトルからずっと6年、タイトル戦しかしていなくて。自分の思うスピード感よりバババッて行っちゃっていました。アマからボクシングやってたわけでもないし、KOもなかったり、本当に発展途上の感じで。求められているものと自分の完成していない感じの、なんか世間の目を気にし過ぎて空回りだしたんです。
飯田 あぁ……。
吉田 もっと楽しく、気にしなきゃいいのにね。こうじゃないといけない、KOで倒さないとって。子どもがいるからシングルマザーでボクサーだけど「こうでないといけない」に当てはめようと……。
飯田 難しいね、そこは。
吉田 その時33歳でもう時間もないし、最後は好きにやりたいと思いました。三迫(貴志)会長からはフライ級でチャンスを用意するからと言われたんですが、海外に契約を一人で取りに行っていいですかって。「でも無理だよ、難しいよ」と言われました。全部を知ってるじゃないですか、三迫会長は海外のことを。それでも行きたいと言って「それなら好きに行ってきな」と言ってもらったんです。
飯田 うん。
吉田 すると本当に偶然というか運命みたいな感じでいろんな話が来たんですよ。すごく頑張ってるわけじゃないけど、急速に周りがタイミングよくバババッとなった。あ、もうこれは行けってことなんだなって思ったんです。
飯田 いま流行りの引き寄せってやつだね。
吉田 そうです。本当に引き寄せですね。小澤(瑶生)さんに負けたのが5月30日だったんですけど、6月にはハワイに行って、7月にまた渡米して8月にニューヨークのプロモーターが興味を示してくれて。ルゥ・ディベラという老舗のプロモーターで、グリーソンズジムに縁をいただきました。まだ私はその時、娘のこともあったんで、試合があれば3ヵ月アメリカにいて、あとは日本で滞在してみたいなことを考えたんですけど。
飯田 行ったり来たりする予定だったんだね。
吉田 でもディベラがそんな中途半端じゃ絶対ダメだと。娘とニューヨークに移住する気があるなら面倒みよう、ビザを出してあげると言われました。もう即決して、わかりました(笑い)。..
吉田が叶えたアメリカン・ドリーム――対談記事全文は発売中のボクシング・ビート2月号に掲載しています。
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