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埼玉・DANGAN越谷ジムの為我井廉、泰我、慧惟の兄弟 紆余曲折を経て、3人でプロのリングへ

2024年11月29日 8時29分

 埼玉県の南東部に位置する東京近郊のベッドタウン越谷市にあるDANGAN越谷ジム。茨城県古河市から車で往復約2時間半かけて練習に通うジム期待の為我井廉(れん、23歳)、泰我(たいが、22歳)、慧惟(けいい、20歳)の兄弟がいる。

左から廉、泰我、斎藤友彦チーフトレーナー、慧惟

 バンタム級からS・バンタム級で戦う廉は5戦全勝1KOのサウスポー。今年4月、硬軟おりまぜたボクシングで2戦2勝(2KO)の相手を圧倒、最後は左ストレートでフィニッシュし、鮮烈な初回TKO勝ちでB級昇格を決めた。10月には食い下がる相手とのフルラウンドの熱戦を制し、6回戦初勝利をあげている。

 同じくサウスポーでバンタム級が主戦階級の泰我。2戦目で骨折した左拳、痛めていた左肩の手術を経て、今年9月に1年5ヵ月ぶりに復帰。後半、やや息切れしたものの、大差の判定で待望の初勝利(1勝1敗1分)をあげた。12月2日の「アンタッチャブルファイト」で51.8キロ契約4回戦が決まっている。

 今年7月にフライ級4回戦でデビューした慧惟はオーソドックス。兄弟で唯一、高校でアマチュア経験がある。スピーディーなボクシングで初回を支配するも、次第に押し込まれ、ドローで初陣を飾れなかった。12月11日、「オーバーヒート・ボクサーズ・ナイト」のL・フライ級4回戦で初勝利を目指す。

 為我井3兄弟の存在を知ったのは今年3月19日、荒本一成(帝拳)、山口友士(三迫)らがB級プロテストを受験したテスト会場の後楽園ホールだった。近くにいたアマチュア経験もある元王者の某ジム会長と思わず「すごいな……」と目を見合わせたのが、慧惟のスパーリングだった。

 軽快なフットワーク、鋭い左ジャブを軸に“打たせず打つボクシング”を展開。ハッとするようなタイミングで右ストレート、左フック、右アッパーを合わせ、またステップでかわす。C級テストで力量差のある組み合わせはままあるし、あくまで実技試験の2ラウンドではあったのだが。某ジム会長も手放しでベタ褒めするような圧巻の内容だったのだ。

 スパーリング後、草加有沢ジムで活躍した元日本ランカーの斎藤友彦チーフトレーナーに尋ねる。すでに2人の兄がデビューしていると知った。

■古河から越谷へ

 兄弟全員に共通するのがステップワークを主体としたスタイル。まさに慧惟がプロテストで見せた“打たせず打つボクシング”が典型だったのだが、18古河ジムでプロライセンスを取得したことのある父の教えがベースにあるという。

シャドー中の3兄弟。車で往復約2時間かけ、3人で練習に通う

 物心つく頃から兄弟で父の手ほどきを受けた。自宅の県営団地の部屋で戦った“スパーリング”が子どもの頃の思い出であり、原点。廉は「日常に当たり前にあるもの」、慧惟は「兄弟の遊び」と受け止めたが、泰我だけは「毎日、嫌で嫌で……」と振り返る。

 練習といっても、パンチが当たれば、ヒートアップする。倒されたり、血が出たり、優劣がついた。その後に一緒に囲む晩ご飯の食卓の空気、バツの悪さ。それが泰我には「嫌でたまらなかった」という。

 父の古巣に全員で通い始めたのは慧惟が中学生になった頃だった。この間、並行して空手、キックボクシングも経験し、兄弟で試合にも出たが、「1回も勝てなかった」のが慧惟だった。それでも「やってやるぞ、みたいな気持ちにもならなかった」という。

「小さい頃は楽しかったんですけどね。自我が芽生えるにつれて、痛いし、あんまり好きじゃないなって。で、全然、勝てないし」。他の2人がやっているからやっている。それが当時の泰我と慧惟の本音だった。

 やがて廉と泰我がプロテストに合格した頃だった。転機が訪れた。コロナ禍と前後して、ジムが協会を退会。ともに通信制高校に入学しながら肌に合わずに退学し、兄弟で温度差はあったものの、ボクシングに懸け、これからという時期だった。

 仕事を終えた夜、真っ暗な公園で2人、練習したこともあったという。そんな先が見えない中でも意志が揺らがなかったのが廉だった。「練習して、もっと強くなってからプロデビューすればいい、と思ってたし、最終的に世界チャンピオンになることだけを考えてやってました」。「世界」と口にしたのは廉だけだった。

 泰我が前向きになったのは越谷に来てからだった。斎藤トレーナーを始め、「狭い世界で兄弟で頑張ってきたことを認めてもらえた気がして」。3人の先陣を切ってデビュー。周囲の応援が嬉しかった。「より頑張らないとな、と思って。(ボクシングを)好きになりました」。ケガを乗り越え、ようやく勝ったときは「気持ちよかったです。やってきてよかったな、と思いました」。

■強烈だった高見亨介の印象(慧惟)

 県立総和工業高校に進学した慧惟はボクシング部に入部。1年からインターハイ、地元・茨城国体に出場した。コロナ禍で大会が中止になった1年を経て、3年時のインターハイにも出場。すべて初戦敗退に終わった。国体では1学年上の高見亨介(帝拳)に敗れ、最後のインターハイでは関東大会で勝利した1学年下の瀬筒陸斗(M.T)に雪辱を許した。

 特に高見の印象は強烈だったという。「ダウンも取られて、完敗でした。めちゃくちゃ強かった。こういう人が世界を獲るんだろうなって」。卒業後は就職。ボクシングは辞めるつもりだった慧惟をリングに連れ戻したのは廉、泰我がプロで戦う姿だった。「やりたいなら、今しかできないことなんだし、やったほうがいい」。2人が背中を押してくれた。

4月25日、廉(中央)が初回TKOで快勝した試合後。まだ慧惟(左)の髪は長い

 ボクシングに対する向き合い方が兄弟それぞれであったように、スタイルのベースは同じでも特徴はそれぞれ異なる。

 慧惟が「何でもできる」と評するように幅が広いのが廉。自身も「戦いながら、スタイルを変えたり、対応を切り替えられる自信がある」と胸を張る。来年2月に次戦を予定。「あと1回、勝ったらA級。そこからは、さらに強い相手とやることになるので。しっかり勝っていけるようにトレーニングを積みたい」と表情を引き締める。

 他の2人が「パンチがある」と口をそろえるのが泰我。本人は「パンチの硬さ」とともに「特に左のカウンターのタイミング」に自信を持つ。が、「倒しに行って、一発もらうのは自分のボクシングじゃない」と、あくまで「お父さんのボクシングで上に行きたい」と語る。12月2日の次戦、「とにかく全力で勝ちに行く」と意気込む。

「慧惟は速いフットワークとジャブがいい」と廉。「そこにパワーパンチを加えたら、もっとよくなる」と注文をつける。スピードとテクニックで上回りながら、相手の気持ちと体の強さに押され、「情けない試合をした」と試合直後に頭を丸め、「自分を変える覚悟」を示した慧惟。12月11日に向け、「KOでも、判定でも、はっきり勝ちたい」と自らを鼓舞する。

 斎藤トレーナーによると泰我、慧惟は次戦を見て、来年の新人王戦に出るか、方針を決める予定。ようやく、そろってボクシングに邁進し始めた2024年を締めくくり、兄弟3人で2025年に向かう。(船橋真二郎)

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