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アーロン・プライアー逝く、アルゲリョと2度激闘

2016年10月10日 13時06分

 ジュニア・ウェルター級(スーパー・ライト級)屈指の名王者アーロン・プライアー氏が現地時間9日午前5時57分、米国オハイオ州シンシナチで永眠した。60歳。長年、心臓病との闘病生活が続いていた。

今は亡きアルゲリョ(左)とプライアー、歴史を作った2人

“ザ・ホーク”(鷹)のニックネームで呼ばれたプライアー氏はシンシナチの出身。アマチュアで活躍し1976年の全米ゴールデングローブで、のちのグレートの一人トーマス・ハーンズに勝って優勝。同年のモントリオール五輪選考試合で五輪で優勝したハワード・デービスJr(故人)に敗れたのを最後に、同年11月プロに転向した。

 デビュー後は元エリートアマとは思えない豪快な戦法で連戦連勝。24勝23KO無敗で迎えた80年8月、無敵を誇ったアントニオ・セルバンテス(コロンビア)に地元で4回KO勝ち。WBA世界J・ウェルター級王座に就いた。8度の防衛を成功させた中には、亀田昭雄(協栄)、金相賢(韓国)といったアジア人挑戦者を一蹴した試合もある。亀田戦に続き82年11月、マイアミのオレンジ・ボウルで3階級制覇を目指すアレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)に14回TKO勝ちで防衛。ボクシング史を彩る名勝負のひとつに挙げられる。

 金との防衛戦をはさみ、83年9月に再びアルゲリョと対戦して10回KOで返り討ちにしたプライアー氏は一旦、引退を口にした。しかし翌年IBF同級王座を獲得。1度防衛後の87年8月、無名のビリー・ジョー・ヤング(米)に7回TKO負け。これがプロ唯一の敗戦となった。このあたりから眼疾の問題や薬物服用のトラブルが発生。3戦消化し、90年12月の試合を最後にグローブを脱いだ。生涯戦績は39勝35KO1敗。

 96年に国際ボクシング名誉の殿堂入り。しばらく薬物依存との戦いを続けていたが、更生施設で知り合ったフランキー夫人との間に4人の子供を授かり、シンシナチで牧師に転身。アンチ・ドラッグ活動を展開しながら、地元の青少年にボクシングを指導していた。プロ選手となった長男のアーロン・ジュニアはS・ミドル級でリングに上がっている。

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