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ラスベガスの番狂わせから10年 石田順裕の快挙を振り返る

2021年1月20日 12時09分

 いまでこそ中量級の本場アメリカで輝く日本人ボクサーも現れてきているが、元WBA・S・ウェルター級暫定王者の石田順裕さん(現寝屋川石田ボクシングクラブ会長)が現役だったころはまだまだ大それた野望だった。といってもそれはそんなに昔の話ではない。ラスベガスで起こした大番狂わせから10年目を迎えるのを機に、石田さんに当時を振り返ってもらった。(本文中敬称略)=ボクシング・ビート2月号より=

2011年4月、カークランドを初回KOで下した石田

 日本の中量級ボクサーが本場の米国リングで名を上げてくる例はそう頻繁にあるわけではない。だが近年、少なくとも現実的なアメリカン・ドリームであるのはたしかだ。

 最新の中谷正義はもちろん、三浦隆司、亀海喜寛、伊藤雅雪、小原佳太、岡田博喜……常に結果が出るものではないが我々は彼らに期待をかけることができた。

 「僕らの時代と本当に変わった。だいぶ昔の話のような気がしますね」と語るのは、石田順裕・寝屋川石田ジム会長(45歳)である。

 2015年まで現役を続け、最後はなんとヘビー級になった石田のキャリアの盛りは、海の向こうで奮闘したミドル級のころ。勝てはしなかったが、ポール・ウィリアムスやディミトリ・ピログ、さらに連続KO防衛中のゲンナジー・ゴロフキンに果敢に挑んだ。石田のおかげで世界の中量級のトップレベルを身近に感じた日本のボクシングファンもいることだろう。

 最も胸のすく思いだったのがラスベガスのMGMグランドの大アリーナで、27戦全勝24KOのジェームズ・カークランド(アメリカ)を粉砕した試合。初めての本場リングでホープ中のホープだったカークランドを初回いきなり3度倒してフィニッシュした。チャンスをものにした石田は一躍強豪たちからもオファーされる存在となったのだ。

 石田の電撃KOは現地で「大の番狂わせ」と騒がれたが、同様に日本のファンに大きな衝撃を与えた。日本の中量級がアメリカで脚光を浴びることなど、多くは想像していなかったのだ。そしてこれはほんの10年前のことなのである――。

 十年一昔とはよく言ったものだ。当時はおいそれと「中量級で世界チャンピオンになる」と口にもしづらかった。

 「“そんなん絶対に無理”って笑われてました。なにしろオスカー・デラホーヤが活躍していた時代でしたしね」

 日本はまだWBAとWBCしか認めていなかったし、いまとかなり違う。しかし石田は「日本人でも通用する」と主張していた。

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