栗原慶太が豪快TKOでOPBFバンタム級戦王座返り咲き 中嶋一輝は王座陥落
2021年10月19日 19時48分
2021年10月19日 13時57分
マニー・パッキャオは長寿連載「飯田覚士の直撃トーク」にも出演していた。2005年9月のことだ。当時パッキアオは雪辱をかけてモラレス第2戦が決まった頃。すでに米国で最も成功したアジア人ボクサーと言われていたが、飯田さんにとってはまだまだ野心旺盛なハングリーさが印象的だった。ジンキー夫人を伴って日本料理を楽しみながらの対談中、立ち上がってパンチの打ち方を教えてくれる一幕もあった。(構成・船橋真二郎=ボクシング・ビート11月号より)
飯田さんとパッキャオの対談が実現したのは2005年9月25日、横浜アリーナで開催されたダブル世界戦の前夜だった。まだ24歳の長谷川穂積がTKO勝ちで初防衛に成功し、偉大な王者への第一歩を踏み出した日、新井田豊に苦闘を強いた同胞エリベルト・ゲホンの応援に駆け付けた。パッキャオ26歳。2度目の来日だった。
「いま読み返してみても、俺、ゆるーく、しゃべってるなって。まあ、通訳を通してだから、余計に普段っぽく話そうと思ってたのかもしれないけど」
懐かしい対談記事に目を通し、飯田さんが苦笑いする。16年前はまだWOWOWエキサイトマッチの解説者になる前。まだまだ海外の試合を動画で手軽に視聴できる時代でもなく、海外のボクサーの情報をつぶさにチェックしていたわけではなかったという。
「だから、この時はパッキアオと対談となって、いまガンガン来てる選手だ、すごく頑張ってるのがフィリピンから出てきたな、ぐらいのイメージだったんですよね。もちろん、バレラ、マルケスと戦って、モラレスと戦った後ですもんね。ボクシングファンは大注目ですよね(笑い)」
当時は4ヵ月後にモラレスとの雪辱をかけた再戦を控えていた頃。すでに「米国でもっとも成功したアジア人ボクサー」と富も名声も築いていた。
「やっぱり、雰囲気、オーラはハンパないなって思いましたね。でも、まだ若くてヤンチャな感じ、尖ったところが残っていましたよ。ハングリーで、まだまだ行くぞ、みたいなギラギラ感がありましたよね」
まさにいまキャリアのピーク、絶頂期を迎えたところ、そう誰もが捉えていた。まだ序章、この先にとてつもない未来が待っているとは他ならぬパッキャオ本人も、まったく想像できていない。飯田さんの「いつまで現役として戦うつもり?」の問いかけに対して、こう答えていた。
「そんなに長くないと思います。あと4試合ぐらいかと……」
実際は42歳まで27戦を重ねる。S・フェザー級でメキシカンとのライバル対決、モラレス、バレラマルケス戦を経て、ウェルター級でオスカー・デラホーヤと戦うのは3年後だ。…
当時語り合ったハードパンチの秘訣や政治家志望の思い。記事全文は発売中のボクシング・ビート11月号に掲載しています。
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