WBC・S・フライ級王者ロドリゲスがシーサケットとV1戦 6.25サンアントニオで4タイトル戦
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元日本ウェルターならびにJ・ウェルター級チャンピオンで、世界王座にも2度挑戦したことがある亀田昭雄さんが4月16日、栃木県佐野市内の病院で死去していたことが分かった。65歳だった。
亀田さんは栃木県出身。180㎝の長身を活かしたセンスのいいサウスポーで、アマ時代から天才ボクサーとして注目を集めた。足利工業高校在学中の74年夏のインターハイで全国大会初優勝。中央大学に進み75年の全日本選手権ではL・ウェルター級で優勝した。
国際大会でも好成績を残し五輪での期待も高まったが、1年で大学を中退しプロ転向。所属はミカドとなったが、実質は協栄ジムの選手で、後に協栄に移籍している。
77年3月ハワイでビューし、7戦目で日本ウェルター級王者辻本章次(ヨネクラ)に挑戦。同じ天才型の対決は若い亀田が辻本を2回にダウンさせて5回TKO勝ち。新旧交代を強烈に印象づける結果で亀田は初のベルトを獲得。一方敗れた辻本はこれがラスト・ファイトとなった。
その後、亀田は1階級落としてJ・ウェルター(S・ライト)級で世界を目指し、82年7月米国シンシナティで初の世界挑戦。チャンピオンは不敗の29連勝をマークしていたアーロン・プライアーで、これは相手が悪すぎた。絶対不利の中でリングに上がった亀田は、初回に左を決めてダウンを奪ったが仕留め切れず、逆にプライアーの反撃に遭って4度のダウンを喫し、結局6回TKO負けとなった。
85年にはIBF日本と契約し、87年英国ロンドンでIBF世界王者テリー・マーシュに挑んだものの7回TKO負け。これを最後に現役を退いた。約10年間のプロ戦績は27勝21KO4敗。
引退後はサラリーマン生活を送ったこともあったが、郷里の栃木県佐野市で整体院を開業。琵琶の葉とお灸を使ったユニークな施術で知られていた。
数年前にがんに罹り闘病生活を送っていた。故人の家族の話によると、死因は直腸癌となっている。本人がなかなか手術を受けたがらず、がんが転移して手遅れだったという。
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