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2022年6月16日 木曜日

日本初のボクシング世界王者誕生物語 白井義男は羽田空港でマリノ一行を出迎えた

 白井義男が勝たなければ、今日の日本ボクシング界もなかった!?――70年前の「5月19日」の出来事を振り返る。《ボクシング・ビート7月号「Opening Round」より》

後楽園ホールに展示された白井さんの記念品

 5月19日を「ボクシングの日」に日本プロボクシング協会が制定したのは2010年のこと。1952年のこの日、日本で初めて挙行された世界タイトルマッチで白井義男がダド・マリノ(ハワイ)に勝ち世界フライ級王座を奪取した。歴史的快挙の日から、今年はちょうど70周年にあたる。

 この試合がなければ、いまの日本ボクシング界の隆盛はなかった……というのも決して大げさではない。日本ボクシングコミッションが設立されたのも、この試合に合わせてのことであった。それまでボクシング協会が担っていた試合運営を、公的統括機関のコミッションを設立して任すことが世界戦実現の条件だったのである。

 日本で行われる最初の世界タイトル戦が当時の日本でどれほどの関心事だったか、5月1日にマリノが来日すると、挑戦者の白井が羽田空港に足を運び、飛行機のタラップから降りてくるマリノ一行を出迎えた。

 前年の無冠戦の時と同様両選手、マネジャーらを乗せたオープンカーで銀座通りをパレードする予定だったが、これは直前に中止された。デモ隊と警官隊とが衝突して2人の死者が出る「血のメーデー事件」が起きたからである。

 銀座の日拳ジムで無名の白井を発見しマネジャーになったアルビン・カーンは、世界初挑戦を前にした白井にこう言った。

「自分のために戦うと思うな、敗戦で自信と希望を失った日本のために戦うのだ」

 そして5月19日、いまはない後楽園球場に4万超の観客が詰めかける中、グラウンドの2塁ベースとピッチャーズプレートの間に特設されたリングで試合は行われた。後楽園球場は読売巨人軍の本拠地として知られるが、当時ボクシングの会場としてもたびたび使用された。戦後の復興期にあたり、まだ大きな会場がなかったからである。..

 ちょうど70周年のアニバーサリーにあたり、日本ボクシングにとって歴史的な一戦の雰囲気を伝える。記事全文は発売中のボクシング・ビート7月号に掲載しています。

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