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元WBA・S・バンタム級王者 久保隼が引退を表明「戦う人として心も体も作れない」

2022年6月25日 22時45分

元WBA世界S・バンタム級チャンピオンの久保隼(32=真正)が25日、自身のフェイスブックで現役引退を表明した。

久保は17年に世界王座獲得。中央が山下会長

久保は「4月12日の試合(佐川遼戦)を最後の試合としましてボクサーとしてリングに上ることを辞める報告をさせてもらいます。理由としては戦う人としての心も体もつくれないこと、これに尽きます」と記し、10年にわたるプロのリング生活に別れを告げた。

京都市生まれの久保はアマ選手だった父憲次郎さんの影響でボクサーにあこがれ、中学3年から南京都高校(現京都廣学館高校)を指導していた武元前川監督(故人)の指導を受けた。もともとは右ききだが、武元監督の方針で高校入学前からサウスポーに転向、熱心に練習に取り組んだ。

高校時代は主将を務め、フェザー級でインタハイ準優勝。指導にも訪れていた先輩の村田諒太に勧められ、東洋大に進んだ。当初、母校の指導者になるのを目指していたが、教員免許を取得できず、3年でボクシング部を退部。大学卒業後、以前から親しかった真正ジムのマルコム・ツニャカオ選手から練習を誘われ、「あこがれの長谷川穂積さんもおられるし、山下正人会長とならやっていける」とプロになった。

13年5月にデビュー、連勝街道を走り、15年12月、OPBF・S・バンタム級王座を獲得、2度防衛した。17年4月、大阪府立体育会館でネオマール・セルメニョ(ベネズエラ)を11回TKO勝ちで下し、世界初挑戦でタイトルを獲得。しかし、同年9月、初防衛に失敗し、再起後、18年5月に中国で2階級世界王者を目指したが6回TKO負けを喫した。

20年、21年に1勝ずつをマークしたが、目の負傷もあり、本調子に戻らず、今年4月12日、後楽園ホールで元日本フェザー級王者、佐川遼(三迫)に3回KO負けした。

久保は「応援していただいている方々に結果で恩返しできないのが最終決断です。基盤をつくっていただいた武元先生、プロの世界でお世話になりすぎた山下会長やジムのみなさんのおかげでボクサーを続けることができました」と記している。

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