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2022年8月2日 火曜日

“沖縄の星”上原康恒がWBA・J・ライト級王者に デトロイトのビッグ・アップセットから42年

 いまから42年前の1980年8月2日、米デトロイトのジョー・ルイス・アリーナで“沖縄の星”上原康恒が大仕事をやってのけた。WBA・J・ライト級タイトルマッチで、プエルトリコの技巧派王者サムエル・セラノに6回KO勝ち。悲願の世界タイトルを獲得したのだ。

豹柄のトランクスがトレードマークだった

 沖縄中央高、日大で数々の大会を制し、アジア大会で銅メダルを獲得するなどアマチュアで117勝8敗という驚異的な成績を残した上原は“沖縄の星”と呼ばれた。協栄ジムと破格の条件で契約してプロデビューしたのは1972年のこと。早くから将来の世界チャンピオンと期待された。

 順当に白星を重ねた上原は74年8月、WBA・J・ライト級王者ベン・ビラフロア(フィリピン)に挑戦。勝てば沖縄初の世界チャンピオンとして歴史に名を残すところだったが、これは2回KO負け。沖縄初の世界タイトル獲得はは76年、後輩の具志堅用高が達成してスーパースターの階段を駆け上がっていく。

 上原は世界初挑戦に敗れたあと、日本タイトルを獲得するもV3戦でマサ伊藤に敗れてさらに評価を落とすことになる。ここであきらめていたら後の栄光もなかったわけだが、上原は敗北にめげることなく、日本タイトルを取り戻して7度の防衛に成功。6年の苦節を乗り越えて世界再挑戦にこぎつけたのである。

 とはいえビラフロアから王座を奪ったセラノはこの時点で防衛テープを10まで伸ばしていた。圧倒的不利を予想される中、上原はアメリカに乗り込む。試合は案の定というべきか、セラノにパンチを当てられない苦しい展開を強いられた。業を煮やしたセコンドが6回開始前、「お前の好きなようにやってこい!」と挑戦者を送り出す。のちに語り草となったエピソードだ。

上原は6回、見事にセラノを沈めた

 これで開き直った上原は6回、エンジンをふかして前に出るとラウンド終盤、渾身の右カウンターがセラノのアゴに炸裂。グシャリと倒れたセラノはなかなか動けず、レフェリーが10カウントを数え上げると、上原は青コーナーからなだれこんできたセコンドたちと喜びを爆発させた。

 なお、この日のメインはトーマス・ハーンズとホセ・ピピノ・クエバスによるWBAウェルター級タイトルマッチ。ビッグファイトのセミで演じた上原のKO勝利は、この年のリング誌のアップセット・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

 上原は初防衛成功後の81年4月、和歌山県立体育館で行われたセラノとのリターンマッチに15回判定負け、現役を退いた。王者としては短命だったが、デトロイトで残したインパクトはいまなお輝いている。

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