日本でお馴染み2階級制覇のブドラー引退 寺地拳四朗戦がラストファイト
2024年3月20日 11時30分
2024年3月20日 11時18分
井上拓真、中谷潤人が世界の王座に君臨し、日本人ランカーもひしめくバンタム級。このクラスの伝説的なチャンピオンを紹介する。1930年代に活躍したパナマ・アル・ブラウンは破格のサイズを誇った強いチャンプだった。《ボクシング・ビート4月号より》
もう100年近くにもなるというのに、パナマ・アル・ブラウンはパナマが輩出した最高のファイターの1人として今も名高い。
パナマ初のチャンピオンであると同時にラテンアメリカ最初のチャンピオン、アル・ブラウン。1930年代に世界バンタム級チャンピオンとして活躍した彼は、この階級では文字通り頭抜けたサイズの持ち主だった。
身長183センチ、リーチは193センチもあったという(BoxRecでは175センチ、184センチ)。現代の中谷潤人がリーチ170センチだから恐ろしいまでの体格的有利である。
同時代のジョー・ルイス(身長187センチ、リーチ193センチ)と同等でもあった。驚くべきはブラウンはヘビー級のルイスよりも35キロ以上軽かったのだが、細くはあっても筋肉質で見事なプロポーションだった。
長い腕を生かして繰り出す強打は一撃の威力があった。そして長身を柔軟におどらせて相手パンチをかわす守りにもたけていた。プロで20年間戦ってKO負けは一度もない。生涯戦績は128勝59KO19敗12分。パナマ・アル・ブラウンは史上最強のバンタムの1人といわれている。
アルフォンソ・テオフィロ・ブラウンは1902年にパナマで生まれた。ボクシングは13歳の時、運河関係の仕事をしているアメリカ人に習いだした。めきめきと腕をあげ、パナマのフライ級チャンピオンとなる。やがてニューヨークへ、これは後のロベルト・デュランも同じ。太平洋とカリブ海をパナマ運河が結んだのは1914年、運河はパナマのボクサーもアメリカにスムーズに運んだ――。
ハーレムの安食堂で皿洗いをしながらトレーニングし、ブラウンは1923年8月、アメリカ・デビューを果たす。長い左ジャブから右ストレートを強打して倒す戦いぶりはセンセーションを巻き起こした。3年間で40戦以上こなし、元世界チャンピオンのエイブ・ゴールドスタインに判定負けした試合もある。
1926年11月、ブラウンはヨーロッパに遠征した。もともと3試合の契約がパリで10試合も戦ったのは、パリっ子の間でブラウンが大人気になったためだ。元世界フェザー級王者のユージン・クリキに判定勝ちするなど戦果も上々だった。..
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