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特集 敗れてもなお…再びベルト狙う宝珠山晃、山下奈々、大野俊人とセコンドの物語

2024年4月23日 8時51分

 試合後のリングで互いに健闘を称え合うのはおなじみの光景だ。グローブを合わせ、抱き合い、握手をし、声をかけ合う。「ありがとう」「強かった」「パンチあるねー」。親近感にあふれた声、悔しさを押し殺した声、勝者と敗者、濃淡はさまざまでも、自分をさらけ出して戦った者同士だからこその声なき声もにじみ出る。

 それはセコンドもきっと同じ。試合までの準備期間、選手を勝たせたい一心で相手の選手と向かい合い、理解しようと努めてきたからこそ、敬意と共感はあふれる。2023年の1年で印象に残った、そんなシーンと選手たちのその後――。《船橋真二郎》

■あの悔しさを忘れないように(宝珠山晃)

昨年9月9日、宝珠山(右)は畑中建人と大激闘を繰り広げた

 日本フライ級8位の宝珠山晃(三迫)の自室には、レイジェス製の青いグローブが吊るされている。

 昨年9月9日、“全勝対決”と銘打たれ、名古屋国際会議場のメインカードで行われたWBOアジアパシフィック・フライ級王座決定戦は稀に見る大激闘になった。初回のパンチの応酬の中、元WBC世界J・フェザー級王者の畑中清詞会長を父に持つ畑中建人(畑中)が左ボディで宝珠山からダウンを奪い、ここから試合は熱を帯びる一方になる。

 サウスポーの宝珠山が攻め、畑中が果敢に攻め返し、また宝珠山が挽回……。息つく間もなく、ラウンドの中で攻守が入れ替わる展開が果てしなく繰り広げられた。攻め込まれ、ダメージを負い、勝負あったかと思われた局面が両者それぞれに何度となく訪れた。

 12ラウンドにわたる壮絶なシーソーゲームに終止符が打たれた瞬間、会場全体に大きな歓声と拍手が広がった。リングアナウンサーが読み上げたスコアは114対113に115対112が2者の僅差3-0。勝ち名乗りを受けたのは顔を大きく腫れあがらせた畑中だった。

 敗者の控え室で声を聞き、フロアを斜めに横断して反対サイドにある勝者の控え室に急いでいたときだった。リングを挟んで向こう側を小走りに駆けていく男性の姿が視野に入った。畑中会長だった。手に抱えていたのが先ほどまで宝珠山が使用していたグローブだった。

「これは俺からプレゼントや」

 三迫ジムの控え室を訪れた畑中会長は多くを語らず、宝珠山にグローブを手渡したと後に聞くのだが、これにはちょっとした続きがあった。

 試合後の畑中会長の囲み取材は、ダメージの濃い勝者に配慮し、控え室から移動した別室で行われた。実は、その部屋にしかシャワーはなく、まさに問答が始まる直前、訪ねてきたのが宝珠山だった。畑中会長に「どうぞ、どうぞ」と招き入れられ、カーテンで仕切られたシャワー室で宝珠山が汗を流す横での異例の囲みとなった。

「いや、すごい頑張りました。すごい練習してきたんだろうと思います」

 話題が宝珠山に及んだときだった。長男・建人はフィリピンでスパーリング合宿を行い、走り込み合宿も行うなど、質量ともに万全の準備をし、この一戦に臨んだと振り返っていた畑中会長がカーテン越しに声をかけた。

「スパーは12(ラウンド)もやったの?」

「1回やりましたけど……。ボロボロでした(苦笑)」

「ああ、そう(笑い)。いや、すごいわ」

「(畑中は)強かったです。勉強になりました。ありがとうございました」

「いや、いい試合。ボクシングマニア、ファンとしてはいい試合だった」

 しばらく経って、グローブに込めた思いを畑中会長に訊く機会があった。あの時の言葉をなぞるように宝珠山を称えた。

「これまで8(ラウンド)しかやってなかったんだからね。10もやってなくて、それで(あの激闘で)12をやるのは、ほんとにすごいことよ。どれだけ練習してきたか」

 かすかながら、まだ目の周囲にあざの跡が残る時期に練習を再開した宝珠山。グローブは最初、ジムワークで使わせてもらおうと考えていたが、すぐに思い直したと話した。

「あの悔しさを忘れないように。部屋のいつでも目につくところにかけてます。自分の力不足です。今度は絶対にチャンピオンになれるようにもっと強くなります」

 プロ初黒星から半年後の今年3月19日。熱戦の末に元ランカーの森野大地(フュチュール)とのサウスポー対決を7回TKOで制し、再起したリングでインタビューに応え、こみ上げる涙で声をつまらせる姿が印象的だった。

試合後、森野はオリジナルタオルを宝珠山にプレゼント。健闘を称え合った(3/19)

「(再起戦の)プレッシャーもあったし、今までで一番不安で。ほんとに寝れなくて……」

 そう控え室で吐露すると、こらえきれずに再び嗚咽をもらし、「(ジムから)見捨てられなかったというか、変わらずかわいがってもらってるので……。恩返ししたくて……」と声を絞り出すようにして続けた。

「試合に負けてすぐ、ジムのみんなのセコンドを手伝わせてもらえて……見捨てられてないと思ったし、もう1回、頑張ろうと思えて……しっかりやってきたことを出しきって、恩返しできたらなと思ってたんですけど……。でも、内容が悪くて……」

 畑中戦から3日後、9月12日の馬場龍成の8回戦から14、15日の東日本新人王準決勝、そして18日に世界戦に臨む寺地拳四朗(BMB)の16日の記者会見、17日の計量から試合当日まで連日のようにジムメイトを献身的にサポートする宝珠山の姿があった。声をかけると「今、自分にできることをやるだけなので」と神妙な表情をするばかりだった。

畑中戦の約1週間後、拳四朗の計量をサポートする宝珠山(列の左端)

 明るく、人懐っこい性格で「タカラ」の愛称で親しまれるジムのムードメーカー的存在。「見捨てられるかもしれない」という怖さのもとをたどると「負け続けた」というアマチュア時代に行き着く。

 東福岡高、日大とボクシングの名門校に在籍。が、戦績は通算7勝6敗。特に大学の4年間は「たったの1勝1敗」だった。いまだ試合に負けた以上の苦い記憶がどこかにしみついているのだろう。

「だから、タカラには絶対にベルトを巻かせたいんです」という加藤健太トレーナーの思いを受け取ってきた。舞い上がり、焦り、練習してきたことを出しきれなかった、応えることができなかった、と自身への反省ばかりが口を突いて出た控え室でぽつりとつぶやいた。

「まだ全然、自分を信じられない……」

「率先して人のために行動できる人間性もいいし、練習も頑張る。あとはメンタル」と加藤トレーナーは言う。自分を信じられるようになった先にベルトがあるのか。ベルトという結果が自分を信じられない自分を変えるのか。いつか青いグローブを部屋から外す日をイメージして、練習に励んでいる。

■いつかワンパンで仕留めたい(山下奈々)

昨年9月27日、山下奈々(左)はアマ経験豊富な柳井妃奈実と熱戦

「自分が超えなきゃいけない壁だと思います」

 試合後の控え室。現・日本女子バンタム級3位の山下奈々(RE:BOOT)は顔を上げ、きっぱりと言った。

 9月27日の東京・後楽園ホール。空位の日本女子バンタム級王座を当時1位の山下と同2位の柳井妃奈実(真正)が争ったタイトルマッチは、ともに技術もパワーもあり、緊張感あふれる戦いになった。

 両者の激しいつばぜり合いは最後まで続き、規定の6ラウンドを戦い抜いた末の判定はジャッジ全員が58対56とつける2-1。ボディに効果的にパンチを散らした柳井が競り勝った。

「またやろう! すごかった! ええ試合やった! また絶対やろう!」

 青コーナーに立ちつくす山下のもとにひとり駆け寄り、勢いよく声をかけたのが真正ジムの熱血漢・井上孝志トレーナーだった。新王者の会見中、射場哲也会長と控え室を訪ねてきた山下は「ありがとうございました! またリベンジさせてください」と挨拶。柳井もまた「はい! ありがとうございました!」と応じた。

 井上トレーナーに訊く。「いや、ほんまにええ試合で、2人の成長につながる試合やったと思います。また試合することになったら、もっと強くなるんじゃないですか」。期待以上の好試合に心から湧き出た言葉だった。

 柳井は8歳から少林寺拳法を始め、中学生からボクシングに転じた。2年のときにアンダージュニアの全国大会で優勝。高校2年、3年の全日本女子選手権(ジュニアの部)から近大1年、2年の全日本女子選手権まで“4連覇”を果たした。すでにキャリアは13年になる。

 一昨年9月、アマチュア日本代表のチームメイトで現・世界王者の晝田瑞希(三迫)と日本女子フライ級王座を争い、体重超過の末に判定で初黒星を喫した。続く韓国での再起戦にも敗れるも苦境を乗り越え、階級を上げてベルトをつかんだ。

 対する山下は20歳、立教大学在学中に本格的にボクシングを始め、キャリアは5年。スポーツ経験も「バスケをちょっと。それだけしかないです」という山下は、総合格闘技のジムで受付のアルバイトをしていたとき、RE:BOOTジムにも出入りするパーソナルトレーナーの永末“ニック”貴之さんと出会う。

「しっかりやるなら、俺が1ヵ月、練習を見てあげる。きついと思うけど、やってみる?」

 エクササイズでボクシングジムに通っていたことがあり、興味がありそうだった山下に永末トレーナーが声をかけたのだという。「やります」と即答した山下は「相当、大変だったはず」(永末トレーナー)という厳しいトレーニングについていき、約束の1ヵ月をやりきった。ほどなくRE:BOOTジムからプロを目指すことになった。

 柳井とのキャリアの違いを考えると善戦で、山下自身も「経験値の差が出た」と受け止める一方で、やや赤く潤んだ目に悔しさ以上の負けん気をたたえていた。

左から射場哲也会長、山下、永末“ニック”貴之トレーナー(3/8)

「特にケガもなかったので、練習はすぐに再開しました」という山下は今年3月8日、スワナン・アカパンヤー(タイ)に2回TKO勝ちで再起。力量差こそあったものの、課題にしてきたという左ジャブを丁寧に上下に打ち分け、2回にきれいに伸びたワンツーの右で鮮やかなノックダウン。さらに右から返した左フックでダウンを追加し、なお攻めたてたところでストップとなった。

 柳井戦の反省を踏まえ、ジャブはポイント勝負で競ったときの見映えも意識したものだが、「判定だと第3者に(勝負を)決められてしまうので」とフィニッシュにつなげる道程を突き詰めたいという思いは強い。「いつかワンパンで仕留めたい」。山下は目を輝かせた。

 3年前のデビュー戦は右で豪快に倒した末に2回TKO勝ち。鮮烈なインパクトを残した。が、2戦目では逆に派手に沈められ、初回TKO負けを喫した。身を持ってパンチの怖さも知っている。それでも柳井の印象を尋ねたとき、「パンチがヤバいです。女子では経験したことのないパワーで、めちゃくちゃ重かった」と答えた山下の声は、心なしか弾んでいたように感じた。

「(タイトル、再戦ともに)急いではいないですし、この間にもっと力を伸ばしたい」と射場会長。ステージが上がり、8ラウンド、10ラウンドの戦いになれば、武器のパンチを生かすためにも、よりさまざまな力が問われることになる。

「自信を持って、リベンジできるように。今度は判定じゃなくて、自分の手で試合を終わらせたい」

 山下が壁を超えるのか。柳井が再び壁となるのか。ポテンシャルを秘めた2人の再戦を楽しみにしたい。

■やるからにはベルトがほしい(大野俊人)

昨年3月20日、大野(右)は元王者の麻生興一に競り勝ち、チャンスを手にしたのだが

「辞めるのは簡単なんですけど、中途半端に続けるぐらいだったら辞めたほうがいい。日本ランク1位じゃなくて、やるからにはベルトがほしい。もっと上を目指します」

 来たる6月9日、地元立川のアリーナ立川立飛で日本ウェルター級7位、星大翔(角海老宝石)との10ヵ月ぶりの再起戦に臨む日本S・ライト級4位の大野俊人(石川・立川)。逡巡の末に再起の意志を固めた。

 昨年8月8日の後楽園ホール。強打者対決となったタイトル初挑戦は、当時の日本S・ライト級王者、藤田炎村(三迫)に痛烈に倒され、3回TKO負けに終わった。ショックは大きかった。

 試合後のリング上で、三迫ジムの椎野大輝トレーナーと話し込む大野の姿があった。肩をたたき、笑顔まじりに語りかけていた椎野トレーナーに控え室で尋ねた。

「また麻生(興一)さんとやれるところまで上がっていくので、やらせてください」

 大野は昨年3月の前戦で元日本・東洋太平洋王者のベテラン、麻生に2-1の判定勝ち。この勝利でランク上位に進出し、指名挑戦のチャンスにつなげていた。麻生の担当でもあった椎野トレーナーに再戦を訴えていたというのだが、その返しが素晴らしかった。

「若いんだから、もっと高いところを見ろよ」

 試合が終わればノーサイド。選手を導くトレーナーとしての真っ直ぐなエールだった。

 ただ、なぜ大野が藤田ではなく麻生の名前を出したのか、その理由は分かる気がした。藤田に挑戦する前に話を聞いたとき、麻生戦を「悔しかった」と振り返り、「もらったチャンス」と表現していた大野に、あらためて当時の心情を訊く。

「(麻生戦は)初めて判定で勝った試合だったし(12勝11KO)、はっきり勝ったわけじゃないから。それで1位になっても嬉しくなかったです。自分でつかんだチャンスだって、胸を張れたら違ったのかもしれないですけど」

 納得できない気持ちに決着をつけたい。こちらもまた真っ直ぐで、不器用な思いだった。

ジムメイトの齋藤眞之助(左)は大野の良きライバル

 昨年11月5日、アリーナの隣のドーム立川立飛で開催されたジムの主催興行に大野が来場していた。藤田戦から3ヵ月。石川久美子会長から「まだジムワークを再開していない」と聞いていたが、「まだ気持ちが……」と苦笑しながら、「また頑張ります」と話していた。

 この日のセミにはジムメイトで現・日本ライト級2位の齋藤眞之助が出場。粗削りながら、18勝中15KO(2敗)の強打と一瞬のスピードを誇るアヌソン・トーンルエン(タイ)に対し序盤に強烈なダウンを2度喫したものの、粘り強く6回に倒し返し、大逆転の判定勝利をつかんだ。リングサイドにいた大野も触発されたはずだった。

 少しずつジムで体を動かし始めたのは年明け。本格的な再始動は2月からだった。が、気持ちは向かなくとも、自然と体は動いていた。ブランクの間もロードワークだけは続けていた。

「一言で言うと、チャンピオンが強かった、という結果なんですけど、一番の違いは意識の高さ」

 揺れる気持ちが定まったのは、冒頭のコメントの通り、高いところを見たときだった。

 久しぶりのスパーリングで「ボコボコにされた」という。「でも、すぐに追いついてやろうと思った」と1歳上のライバル、齋藤との手合わせでより気持ちが高まった。2年前にはスポンサーの会社に就職。妻と結婚し、家族もできた。すべてボクシングをやっていたから、と感謝の念も新たにした。

「ひとりだったら、いくらでも適当に生きていけた。いい環境です」

 この4月25日、日本ライト級13位の斎藤陽二(角海老宝石)との「アジア最強ライト級トーナメント」の初戦を迎える齋藤眞之助と切磋琢磨しながら、調子を上げている。

藤田炎村と椎野大輝トレーナー(右)のコンビ

 そして大野の挑戦を退けた藤田。4月9日、李健太(帝拳)との大一番に敗れ、王座から陥落。昨年末をもって大企業リクルートを退社し、ボクシング一本でさらなる飛躍を期していただけに落胆は大きかった。

 椎野トレーナーは《まだ試合の映像を見れない》という藤田にメッセージを送ったという。《現実を見ろ》。すべてはそこから始まる。「やることはまだまだいっぱいありますからね」(椎野トレーナー)。

 もとより19歳、大学1年で初めてグローブを握り、遅いスタートという自身の現実を見つめながら、急成長してきたのが藤田だ。試合から数日後、「これから藤田と食事をして、いろいろ話してきます」と椎野トレーナーはジムを出た。このコンビの再起ロードにも注目したい。

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