来年は海外再進出――井上尚弥が公開練習
2024年12月5日 12時02分
2024年12月4日 9時07分
元S・バンタム級王者イスラエル・バスケス氏(メキシコ)が現地時間3日未明、居住するロサンゼルスで亡くなった。46歳だった。近年、肉腫ガンの闘病生活を送っていた。
メキシコシティ出身。アマチュアでリングに上がった後、1995年3月プロデビュー。メキシコの新人王トーナメント「シントゥロン・デ・オロ」バンタム級で優勝。10戦目で初黒星を喫したが、97年4月、後の世界王者で計3度戦うオスカル・ラリオス(メキシコ)を初回でKOし注目される。
98年から活躍の場を米国へ移し、1敗をはさんで17連勝。02年5月、ラリオスのWBC・S・バンタム級暫定王座に挑み最終12回TKO負け。しかし04年3月、ロサンゼルスのオリンピック・オーディトリアムでホセ・ルイス・バルブエナ(ベネズエラ)に12回TKO勝ちでIBF・S・バンタム級王座に就く。
2度防衛を果たした後、WBC王者ラリオスに挑み3回TKO勝ちでリベンジ、2度目の王座を獲得した。同胞のジョニー・ゴンサレスらを破って2度防衛した後、07年3月ラファエル・マルケス(メキシコ)に7回TKO負けしベルトを失う。この試合が派手な打撃戦だったことで5ヵ月後テキサス州で再戦が実現。6回TKO勝ちでマルケスを下し王座奪回。翌年3月に組まれた第3戦はさらに激闘となり、バスケス氏が2-1判定勝ちで王座を守った。
殿堂入りチャンピオン、フアン・マヌエル・マルケスの実弟ラファエルとのシリーズは人気を呼ぶと同時に両者が被ったダメージは深刻で、WBCが「試合が過激すぎる」と通告し2人に休養を命じたほどだった。とりわけバスケス氏は右目の視力が低下(その後失明)。それも影響し10年5月の第4戦では3回ストップ負け。ラストファイトになった。
引退後はロサンゼルスで「イスラエル・バスケス・ジム」を運営して選手の指導に当たった。このジムはWBCバンタム級王者の中谷潤人(M.T)がロサンゼルス・トレーニングで拠点にする「ノックアウトジム」の前身。スペイン語テレビの中継で解説も担当していた。
数年前、バスケス氏は体重が激減し、40キロ台まで落ちる事態になった。その後、解説を務めることもあったがゲッソリとやせていた。ニックネームは“マグニフィコ”(素晴らしい、壮観な)。生涯戦績は44勝32KO5敗。
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