今度は内山高志トーナメント パンチ自慢集まれ!
2019年7月29日 15時29分
2019年7月29日 0時08分
初代東洋J・ライト級チャンピオンで元勝又ジム会長の勝又行雄さんが28日午後2時半、多臓器不全のため入院先の千葉県内の病院で死去した。84歳だった。
勝又さんは熊本県菊池郡出身、昭和30年代に不二拳の主力選手として活躍し、小坂照男や高山一夫ら帝拳ジムのライバルと何度も名勝負を繰り広げた。
1961年11月、キリサク・バーボス(タイ)を12回判定に下して東洋タイトル奪取し、4度防衛。ベストバウトは63年3月13日、宿敵高山との4度目の対決で、東洋王者の勝又が日本王者の高山にダウンを喫しながら逆転KO勝ちした一戦。リング史上屈指の名勝負として語り伝えられている。
勝又さんは1964年に引退し、その後は勝又ジムを興して技巧派の東洋フェザー級王者歌川善介らを育成した。坂本博之(元東洋太平洋ライト級王者)もデビューから東洋チャンピオンまでは勝又ジムの所属だった。
勝又ジムは十数年前に息子の洋氏が継ぎ、勝又さんは以降「名誉会長」となったが、近年は闘病生活を続けていた。
通夜は8月3日18時から、告別式は翌4日10時30分から。東京葬祭月光殿(東京都江戸川区西小岩1-7-8)で営まれる。喪主は洋氏。
■東京葬祭月光殿
Tel:03-3671-6111、Fax:03-3659-4444
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