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40年前の今日、レナードvs.デュランで激戦幕開け
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2020年6月20日 土曜日

1980年代に輝いた黄金の中量級レジェンド Part1 
40年前の今日、レナードvs.デュランで激戦幕開け

 ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)がリードするライト級、マニー・パッキャオ(比)やテレンス・クロフォード(米)らが鎬を削るウェルター級─いま熱く燃えている中量級は1980年代、“ザ・グレーテスト”モハメド・アリの去ったヘビー級に代わりいまだかつてない盛り上がりを見せていた。

 激しいライバル対決を繰り広げたのがレナード、ハーンズ、ハグラー、デュランの豪華カルテット。今日からちょうど40年前の1980年6月20日、ロベルト・デュラン(パナマ)とシュガー・レイ・レナード(米)の対決で後世に語り継がれる4人の名バトルの幕が開けた。

第1戦のポスター

 史上最強のライト級王者デュランとWBCウェルター級王者レナードの一戦は80年6月20日、カナダのモントリオール、オリンピックスタジアムで開催された。この会場は4年前、レナードがオリンピックで金メダルを獲得した場所だった。

レナードvs.デュラン1はパナマの英雄が勝利

 金メダリストから鳴り物入りでプロデビューしたレナードは79年11月、史上最年少の17歳6ヵ月で世界王座を獲得した2階級制覇王者ウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)を下して世界王座を獲得。この試合が27勝18KO無敗で迎える2度目の防衛戦だった。

 挑戦者のデュランはこのとき29歳。ライト級で世界王座を12度防衛し、ここまでの戦績は驚異の72勝55KO1敗。まさに“石の拳”の名にふさわしい活躍を見せていた。

 スピードのレナードか、パワーのデュランかと目された試合は、デュランが持ち前の野性味を発揮して2回に左フックでレナードをグラつかせ、その後も馬力にものを言わせて前半は試合を優勢に進めた。

“スーパーエクスプレス”の異名を持つレナードは後半に追い上げ、左右のコンビネーション、ボディ打ちなどでデュランに迫ったが、パナマの英雄が逆転を許さずにゴールテープを切る。

 15ラウンド終了してのスコアは145-144、148-147、146-144と小差ながら、デュランが文句なしの判定で2階級制覇を達成。パナマ大統領がデュランを帰国させるために専用機を用意するなど、母国の喜びようはすさまじかった。

 エリート街道をひた走ってきたレナードはプロ初黒星を喫し、プライドがずたずたにされたことだろう。幸いなことに雪辱のチャンスはすぐ巡ってきた。同じ年の11月25日、舞台はニューオーリンズのスーパードームだった。

レナード(左)がデュランに雪辱

第2戦はまさかの「ノ・マス」

“サ・スーパーファイト”と銘打たれたダイレクトリマッチは、リベンジに燃えるレナードが序盤から優勢。持ち前のスピードをいかしたアウトボクシングで動きがいま一つのデュランを翻弄する。7回まで68-66×2、67-66でレナードがリードした。

 迎えた8回、ボクシング史に残る「ノ・マス」事件が起きる。デュランがグローブを振ってレナードに背を向け「ノ・マス」(もう続けたくない)。8回2分44秒、レナードのTKO勝ちでスーパーファイトはあっけなく幕を閉じたのだ。

 なぜデュランは世界に醜態をさらしてしまったのか? 主審には腹痛を訴えたが、大金を稼ぎたいマネジャーがデュランの意に反してダイレクトリマッチを決めたため、やる気を失っていたとも言われる。おそらくさまざまな要因が複雑に絡み合っているのだろう。5ヵ月前に英雄扱いだったデュランは、母国で大バッシングにあうはめになった。

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