あす東日本新人王 俳優志望の仲里ニンジャ登場
リングネームは具志堅会長が名付け親
2020年8月2日 13時56分
2020年8月2日 11時32分
〝浪速の闘拳〟というニックネームもいまや懐かしい。14年前の今日、2006年8月2日は、亀田3兄弟の長男、亀田興毅が初めて世界チャンピオンになった日である。
デビュー当初からビッグマウスを連発し、対戦相手への過激な挑発と、日本人選手と一度も対戦しなかったことなどで批判を浴びていた亀田が初めて世界タイトルマッチに挑んだ。1階級下げてのWBA・L・フライ級王座決定戦。対戦相手はベネズエラのフアン・ランダエタだった。
大きなプレッシャーを浴びながらリングに上がった亀田は初回にダウンを喫する厳しい立ち上がり。その後は持ち前の鉄壁ガードで持ち直したものの、大きな山場のないまま試合は終了する。読み上げられたスコアは115-113、112-115、114-113。スプリットデジションで亀田の手が上がった。
試合後、この判定に対する疑問の声が瞬く間に広がり、試合を中継したTBSや日本ボクシングコミッションに抗議の電話が殺到。21歳だった亀田は大バッシングにさらされることになる。
TBS系列で放送された試合のテレビ視聴率は42.4パーセント(関東地区)をマーク。大注目を集めた試合だっただけに、判定をめぐる騒動は社会問題と化した。
これを受けて亀田は4ヶ月後にランダエタとのダイレクトリマッチに臨み、今度は文句なしの判定勝ちを収める。その後、09年に内藤大助を下してWBCフライ級王座を獲得し、10年に獲得したWBAバンタム級王座は8度の防衛を成功させた。
この間に亀田家は弟の大毅、知毅も世界王者となった。その言動からアンチの多かった亀田が抜群の知名度をさらに上げたのがランダエタ第1戦だった。
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