フランプトンTKO勝ち ロンドンの無観客試合
次こそ3階級制覇かけヘリングに挑戦
2020年8月16日 10時01分
2020年8月15日 15時52分
7月25日神戸のリングで見事王座にカムバックした堀川謙一。40歳、プロ58戦目のタイトル獲得はもちろん話題性十分だが、本人は落ち着いたものだ。プロでは20年。たんたんとやってきているようでいて、7度目のチャレンジで初めてベルトを手にしてからも、陥落、そして復活を繰り返し「まだイケるのでは」と思わせるところがすごい。飯田覚士さんが聞く。=ボクシング・ビート9月号より=
飯田 もうチャンピオンと呼ばれるのにも慣れた?(取材日は試合の1週間後)
堀川 いやー、嫌なんですよ。そう呼ぶのヤメてと思います。
飯田 何それ、どういうこと?
堀川 いっぱい負けてるからですかね。分かんないですけど。最初に獲った時はやはり、7回挑戦してやっとタイトルマッチで勝てたので「ちゃんと(王者に)なれた」という気持ちはありましたけどね。なんかイヤなんでしょうね、変わってるのかも。
飯田 これだけのキャリアと年齢を重ねたからかな。じゃあいまはチャンピオンでありながら、自分の中でこれからチャンピオンとして……というものはない?
堀川 もう自分の中では肩書のあるなしで変わらないのでは。チャンピオンだからどう、そうじゃなくなったからどう、というのは。
飯田 なるほど。それはまた不思議な感じだ。でもこれからまた防衛戦重ねていくわけでしょ?
堀川 といっても40歳で次は59戦目です、そんなに長くはないと思いますし……。
飯田 このタイトルはどういうふうにしていこうかね?
堀川 そこは僕の意思じゃないですし。三迫(貴志)会長の決めた相手と戦うだけという感じですね。コロナがあるので分かりませんが、海外であっても僕は行きますし。40歳で負けもかなり多いので世界チャンピオンから声がかかるかもしれない。流れというか。一応タイトルは手にしたわけですが、こちらからどうこうできる話でもないですから。
飯田 年齢のことが出てくるね。それで先の話を控えてる感じもするけど?
堀川 でも昔からこうですね、僕。初めて日本ランキング入ったのが2005年、それで初挑戦(09年)まで1位2位あたりをウロチョロしてたんですが、この間もそういうことを言ったりしなかった。昔から、勝ち続ければやれる時は流れでやれるし、と。
飯田 なんとなく、キャラクターが見えてきたかな。だからこそ、この年齢でも続けられている。
堀川 どうなんですかね、ハイ。でも性格がこうじゃないと続けることはできないと思います。
飯田 いやらしい質問をするとね、なんでやめなかったか。そこがめちゃくちゃ興味があって。だってやめるタイミングはいっぱいあったと思うんだ。普通ならやめちゃうだろうというタイミングがあったけど、何が堀川君をこうして続けさせてきたのか。
堀川 正直、自分でも分かんないんです。一度、引退宣言というか、14年暮れに「来年いっぱいでやめます」と公言したんです。で、15年は初めてタイトルを獲って、暮れに(拳四朗に)負けた。そして三迫に来ました。
飯田 ひとつには、最初はタイトルマッチがやれないなら区切りを付けようかなとしたわけかな。そしてタイトル戦をして獲って、引退の条件がひとつ消えた。
堀川 拳四朗君に負けてなんでまた続けようと思ったのかは分かんないですけども。ただ別のところで自分の知らないボクシングを見てみたかったのかもしれないです。
飯田 ボクシングをやめたかったわけじゃないじゃん。
堀川 16年の3月に長期出げいこのかたちで三迫に来ました。こちらのジムを見学したわけでもない。当時は移籍する気もなくて、環境を変えてボクシングをやるだけで、先なんて全然見えてなかった。何が目的で三迫ジムに来たとか、当時本当になかったんです。
飯田 ふむ。
堀川 京都のジムではずっと一人でやってきて、もう自分では変えられないから。
飯田 やはり、やり切ってなかったんでしょう。
堀川 まあ、まだ何かあるとは思っていました。ただ自分で生み出せるものには限界を感じていましたので環境を変えたというか。
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