激戦区ミドル級 カネロ法廷闘争でさらに混沌
ユーバンクJrは村田諒太の名前挙げる
2020年9月18日 14時05分
2020年9月18日 9時42分
“カミソリパンチ”で名をはせた海老原博幸が初めて世界タイトルを獲得したのが1963年9月18日のことだった。世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)に衝撃の1回2分7秒KO勝ち。いまから57年前、日本ボクシングの“黄金の時代”と言われた昭和30年代の出来事である。
日本人初の世界王者、白井義男がパスカル・ペレスに敗れて王座から陥落したのが54年。以来、日本は“無冠”の時代が続いたが、これに終止符を打った救世主が62年のファイティング原田だった。
19歳の原田はポーンから殊勲の勝利を挙げてベルトを巻いたものの、3ヶ月後に敵地で再戦して判定負け。続いてポーンに挑んだのが、原田、青木勝利と並ぶフライ級三羽烏の1人、サウスポーの海老原だった。
東京体育館のリングに上がった海老原はゴングと同時にラッシュして、得意の左ストレートでタイ人王者をキャンバス送り。会場が「ワッショイ、ワッショイ」と大盛り上がりの中、海老原は立ち上がったポーンをさらに攻め立て、最後は左ストレートで切り裂き、ポーンに10カウントを聞かせた。日本人選手3人目の世界王者誕生だった。
海老原はこのあとポーンとの再戦にタイで敗れ、2度の世界挑戦失敗をへて69年にホセ・セベリノ(ブラジル)に勝利して世界王座に返り咲くも初防衛に失敗した。
海老原は確かにKOが多く(66勝36KO5敗1分6EX)、歴史に名を残すフライ級の名チャンピオンだが、世界戦は通算2勝4敗と驚くべき成績ではない。それでも海老原=ノックアウトというイメージを強く印象づけたのは、ポーン戦の初回KO勝ちのインパクトがあまりにも大きかったからだろう。
その強打で日本列島を沸かせたサウスポーは1991年4月20日、肝機能障害を患い51歳の若さで亡くなっている。
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