テイラーvs.ラミレス S・ライト級4冠戦が前進
WBO1位のカテラルが統一戦優先に合意
2020年10月11日 12時38分
2020年10月11日 10時59分
20世紀最後のビッグマッチ、WBA世界ライト級チャンピオンの畑山隆則と“平成のKOキング”坂本博之が横浜アリーナで激闘を演じたのが2000年10月11日。あの名勝負から今日でちょうど20年となった。
畑山の5歳年上になる坂本はその強打を武器にノックアウトを量産し、ファンから絶大な支持を得る人気ボクサーだった。児童養護施設で育った恵まれない生い立ちからボクサーを志し、日本のライト級を代表する存在だった。
しかし、世界タイトルは3度挑戦していずれも失敗。特に3度目のヒルベルト・セラノ(ベネズエラ)戦は、初回に2度ダウンを奪ったものの無念の5回負傷TKO負けに終わっており、世界タイトル獲得は文字通り悲願であった。
そのセラノから世界タイトルを奪い、2階級制覇を達成したのが畑山だった。スピードとタイミングに秀でたスタイルこそ坂本とは違うが、アグレッシブで「真っ向勝負」を好む姿勢は坂本に通じた。畑山はセラノを下したリング上で、「次は坂本選手とやります」と宣言する。
S・フェザー級からクラスを挙げた畑山は坂本に勝たなければライト級ナンバーワンを証明できないと思っていた。リング上からのアピールで対戦の機運は一気に高まった。
試合は初回から白熱。坂本が仕掛け、畑山がそれに応じる。1万6000人で埋め尽くされた横浜アリーナはスタートから大興奮に包まれた。パワーで優位を予想された坂本は前に出て迫力あるボディブロー、伝家の宝刀たる左フックを狙う。しかし、畑山は接近戦でも右アッパーを巧みに使って坂本の思うようにはさせなかった。
両者ともに持ち味を出しながらも、徐々に流れを引き寄せていったのはチャンピオンだった。畑山は7回に強烈なボディブローを決め、8、9回もチャレンジャーを消耗させていく。迎えた10回、畑山が右ストレートをアゴに決めると、これまで不屈の精神を見せてきた坂本がキャンバスに大の字。あの坂本が倒れた……。悲鳴と歓声がこだまする中、熱戦に終止符は打たれたのである。KOタイムは10回18秒だった。
「最後まで勝てるかどうかは分からなかった。いいパンチが当たっても倒れるとは思わなかった。坂本選手はやっぱり強かった」。最高の相手を退け、初防衛を成功させた畑山は試合後、坂本へのリスペクトを口にした。坂本が倒されてリングを去るのは40戦目にして初めてだった。
TBS系列で放映されたこの試合のテレビ視聴率は平均22.5%(関東地区)。この一戦で畑山の人気は不動のものとなり、次のリック吉村戦で25.8%、ジュリアン・ロルシー戦では27.9%をマークした。名勝負を繰り広げた両雄は現在、ともにボクシングジムの指導者として活躍している。
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