あす日本ウェルター級戦 IBF6位の小原佳太がV1戦
「勝ったほうが世界への準備」 坂井祥紀戦に集中
2021年4月7日 17時07分
2021年4月7日 12時04分
1990年代に一世を風靡した“プリンス”ナジーム・ハメド(英)が“童顔の暗殺者”マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)にプロ初黒星を喫したのがちょうど20年前の今日。2001年4月7日、ラスベガスのMGMグランドだった。
90年代に型破りなボクシングスタイルと斬新なパフォーマンスでボクシング界に新風を吹き込んだのがハメドだった。イエメン系イギリス人でイスラム教徒。リングには空飛ぶ絨毯を模した神輿に乗って入場し、過激な発言も相まって大きな注目を浴びるようになった。
ボクシングは破天荒そのもの。サウスポースタイルでガードはほとんどせず、遠い距離からいきなり飛び込んでフックやアッパーを決めてノックアウトの山を築く。強靱な足腰の強さと天性のタイミングの良さが、そんなセオリー無視のスタイルを可能にさせていた。
95年にWBOフェザー級王座を獲得すると、IBF王者トム・ジョンソン(米)、ケビン・ケリー(米)、ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)といった一流選手たちを次々にキャンバスに沈め、2000年までに同王座を15度も防衛した。
一方のバレラはWBO・J・フェザー級王座を8度防衛し、一度は王座を失ったものの返り咲きに成功。メキシコを代表する軽量級ボクサーとしての地位を確立し、ハメドとの一戦はファンにとって垂涎のカードとなったのである。
変則スタイルのハメドと、質実剛健ともいえる正統派バレラとの対戦は、バレラが序盤から優位に立ち、ハメドの自由奔放なボクシングを封じた。最終スコアは115-112×2、116-111(バレラは減点1)でバレラの勝利となった。
このあとバレラが同胞のエリック・モラレスやフアン・マヌエル・マルケス、フィリピンのマニー・パッキャオらと激闘を繰り広げていったのに対し、ハメドは翌年に1試合してリングから遠ざかり、復帰話はいつの間にか消え去ってしまった。
最後の試合の時点でハメドは28歳だった。01年9月11日に同時多発テロが起こり、アメリカ国内でイスラム教徒が活動しにくくなったとも言われているが、引退の理由は定かではない。結局プロで敗れたのはこのバレラ戦だけ。37戦36勝1敗という戦績を残し、引退することになった。
ハメドは2014年、バレラは2016年に殿堂入り。最近は20歳になるハメドの息子アダムがプロボクサーとしてデビューの準備をしているという楽しみなニュースが流れている。
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