6月ラスベガスに日本選手2人登場! 井上尚弥の防衛戦、ロマチェンコvs.中谷正義が正式発表
2021年5月6日 10時22分
2021年5月5日 14時35分
オスカー・デラホーヤは1992年バルセロナ五輪金メダリスト。プロ入り後は“ゴールデンボーイ”のニックネームでスター街道を驀進し、史上初の6階級制覇を達成した。数々のビッグマッチをこなし、キャリア終盤に差し掛かった34歳のスーパースターにとって、残された偉業は記録ではなく、ビッグネームとの対戦しかなかった。
1996年のアトランタ五輪銅メダリストからプロデビューし、4階級制覇を達成したメイウェザーはこのとき30歳。世界王者になった当初は決して人気ボクサーではなかったが、ニックネームを“プリティボーイ”から“ザ・マネー”に変えてカリスマ性を徐々に発揮、デラホーヤの地位を脅かす存在にまで成長していた。
かくして両スターの“夢対決”は2007年5月5日、ラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナでゴングとなったのである。
見どころはメイウェザーのディフェンス技術が体格で大きく上回るデラホーヤに通用するかにあった。ミドル級まで上げて6階級制覇を達成したデラホーヤに対し、メイウェザーはウェルター級で4階級制覇を成し遂げ、S・ウェルター級でファイトするのはこのときが初めてだったからだ。
裏を返せば、スピードに恵まれ、リング内で狡猾にふるまうメイウェザーをデラホーヤが捕まえられるかどうかがカギとも言えた。ブックメーカーの出したオッズはメイウェザーの有利と出ていた。
大ブーイングの中、メイウェザーはメキシコ系のデラホーヤをおちょくるかのようにメキシコ国旗を彩ったガウンに、ソンブレロ(つばの広いメキシコの伝統的な帽子)を被って入場。この姿がこれから始まる試合の中身を暗示しているようにも思えた…。
コングが鳴ると、デラホーヤは予想通り、メイウェザーを捕まえようとプレスをかけていく。デラホーヤの攻撃は決して有効とは言えないものの、メイウェザーにロープを背負って対処させるシーンをいくつも作り、序盤はポイントでリードした。
しかし、5回にメイウェザーが右カウンターをヒットしたあたりから試合の流れはメイウェザーに傾いていく。ワンツー、返しの左フックを武器とするデラホーヤのスマートなボクシングは影を潜め、強引に前進を繰り返しているように映る。手数の少ないメイウェザーは持ち前のディフェンス技術で“外している”という印象を高め、クリーンヒットの数でデラホーヤを上回った。
デラホーヤはボディ攻撃に活路を見出そうとし、最後までアグレッシブな姿勢を崩さなかったものの、メイウェザーは最終12回に右を決めて王者の腰を砕いてみせる。見せ場の少ない試合ながら、最後は両者ともに打ち合って締めくくった。
読み上げられたスコアは116-112、115-113でメイウェザー、115-113でデラホーヤと割れ、デラホーヤはWBC・S・ウェルター級王座陥落、メイウェザーは5階級制覇を達成した。
デラホーヤは試合後、ディフェンシブなメイウェザーに不満をあらわにしたが、メイウェザーはまさにそのスタイルで白星を重ねてきたのだから仕方がない。ボクシング界のトップが、時代をけん引し続けたデラホーヤからメイウェザーに代わった瞬間とも言えた。
あまりエキサイティングではなかった、という声もある。ただし、HBOで放映されたPPV(ペイ・パー・ビュー)の購買件数は240万件に達し、イベンダー・ホリフィールドvs.マイク・タイソンのヘビー級戦がマークした199万件を大きく更新し、空前の注目を集めた試合だったことは間違いない。
興行収入は1億5000万ドル(約150億円)とも言われ、こちらも当時の最高記録をマーク。“ザ・マネー”メイウェザーはデラホーヤ撃破で自他ともに認めるボクシング界のトップに立ち、最終的に15年のマニー・パッキャオ戦で300億円ファイトを実現させた。
一方、落日となったデラホーヤは翌年12月、フィリピンの英雄たるパッキャオに引導を渡されて引退を決意する。まさにデラホーヤvs.メイウェザーは時代の変わり目、歴史的な試合だったと言えるだろう。
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