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2009年5月23日、WBC世界S・バンタム級チャンピオン、西岡利晃の2度目の防衛戦はメキシコのモンテレイで組まれた。対戦相手は2階級制覇を狙うジョニー・ゴンサレス。敵地に乗り込んでの試合はまったく予断を許さないものだった。
メキシコ通の関係者が試合前に話していたセリフが忘れられない。
「ジョニゴンに勝てる日本人選手なんているわけがない」。
確かにゴンサレスがかさにかかって攻めるときのパワーには圧倒的な迫力があった。左フック、右ストレートが強く、長身で連打もきいてアグレッシブ。人気と実力を兼ね備えた選手である。にずれにしても“スピードキング”の異名を持つサウスポー、西岡が難敵を迎えたのは間違いなかった。
西岡は早くからその才能を評価されていたものの、バンタム級ではウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に4度挑戦して失敗。クラスを上げてWBC・S・バンタム級王座を獲得したのが08年9月のことで、4度目のウィラポン戦から実に4年半が経過していた。度重なる世界挑戦失敗に加え、アキレス腱断裂という選手生命にかかわる危機を乗り越えての戴冠だった。
こうした迎えたのがゴンサレス戦だった。地元にチャンピオンを呼び寄せたゴンサレスは記者会見で「7回で倒す」と予告。西岡は「それは非常に難しい」と切り返したものだが、試合で先制したのはKO宣言した挑戦者だった。
試合開始から2分がすぎ、リーチの長いゴンサレスが右を合わせると、西岡がストンと尻もちをつく。地元ファンで埋め尽くされた会場は大盛り上がりだ。しかし、ゆっくりと立ち上がった西岡は冷静だった。
「相手の左を意識しすぎてもらってしまった。でもあれで気持ちが吹っ切れて前に出ることができた」
ダメージのなかった西岡はスピードを意識し、脚を使いながら右ジャブ、左ストレートでボクシングを組み立て直す。大声援をバックにゴンサレスは攻めるものの、西岡はそれをかわしながら静かにチャンスをうかがっていた。
クライマックスは突然訪れた。
3回、西岡はジャブを突き、右に回り込みながら踏み込むと自慢の左ストレートを一閃。地元の英雄は一瞬体を浮かせるようにして、木が倒れるようにキャンバスに叩きつけられた。辛うじて立ち上がったものの、だれに目にも試合がフィニッシュしたのは明らかだった。
メキシコファンの度肝を抜くKO劇に、現地メディアは“モンスターレフト”の異名を西岡に与えた。試合後のヒーローは「あのパンチは(田中)繊大トレーナーのミットに1万回は打ったかなあ」と照れ臭そうに笑った。
西岡はその後、防衛テープを伸ばし、11年10月にはラスベガスでラファエル・マルケス(メキシコ)を下して7度目の防衛に成功。日本人チャンピオンがラスベガスで防衛戦を行うのは初めてだった。
ラストファイトは12年10月、アメリカで行われたノニト・ドネア戦。海外でのファイトを希望し続け、アメリカで名前を売る先駆者となった西岡にとっても、モンスターレフトを炸裂させたモンテレイの夜は特別だったに違いない。
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