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交通事故で首骨折から奇跡の復帰 暫定王者の中島玲 8.8“真の日本一”かけ出田裕一と対戦

2023年7月31日 17時43分

 8月8日、東京・後楽園ホールで開催される「ダイヤモンドグローブ」は中・重量級のダブル日本タイトルマッチ。セミファイナルのS・ウェルター級王座統一戦は、プロ18年目で悲願の初戴冠を果たしたベテラン、正規王者の出田裕一(三迫/38歳、16勝9KO16敗1分)、新進気鋭の若き暫定王者、中島玲(石田/25歳、6勝1KO1敗)が雌雄を決する。

 3歳から空手に励み、キックボクシングを経て、高校でボクシングに転じるも、高校3年の冬に交通事故で首を骨折する重傷を負った中島。が、奇跡的に治癒し、大学2年でリングに帰還。「この道で生きていく覚悟が決まった」という。元世界王者の石田順裕会長と同じ階級で頂点を目指し、日本王座は「通過点」と位置付けるが、幼い頃から父親に課されてきたという“日本一”にかける思いには並々ならないものがある。(取材/構成 船橋真二郎)

4月の暫定王座決定戦で加藤寿に勝利した中島(右)

■遠回りの1年でレベルアップできた

――4月1日に加藤(寿=熊谷コサカ)選手との暫定王座決定戦に勝利して、暫定チャンピオンになりました。今の立場をどう受け止めてきましたか。

中島 いや、まだ暫定なんで、チャンピオンっていう感じではないですね。まだ挑戦者というか(笑い)。

――やはり暫定が引っ掛かりますよね。

中島 はい。暫定が邪魔です。だから、統一戦に勝って、日本チャンピオンですって、やっと胸を張って言えるかなと思ってますね。

――最後は倒して9回TKO勝ちで、キャリア初のKO勝ちでもありました。前からKOを意識するコメントもしていましたが、初KOについては?

中島 やっと自分の戦績に1KOと付けられるんで、それはよかったですけど(笑い)、これからどんどん倒す感覚をつかめると思うんで、まだ満足はしてないです。でも、つかめそうな感じの試合でした。

――パンチに強弱をつけたり、工夫も見えました。意識していたことは?

中島 強弱というより緩急ですね。パワーの強弱というよりスピードの緩急。僕は身長が低いんで(167センチ)、出入りのスピードが今後も大事になると思うんですけど、加藤選手(身長181センチのサウスポー)との試合では、出入りを生かすための緩急をすごく意識して挑みました。

――武器のスピードをより生かすための緩急、スピードの変化。

中島 そうですね。スピードを遅くしておいて、一気にトップスピードまで上げたり、そういう練習をしてました。

――出入りの緩急、リズムの変化で、相手の感覚とズレたパンチになったり。結局、そういうタイミングを外されたパンチのほうが効く。

中島 はい。やっぱり、見えないパンチがいちばん効くんで、それを狙えるように意識はしてます。絶対にパワーはないわけではないと思うんで、あとはタイミングとか、緩急、パンチの散らし方ですよね。

――パワーと言えば、上半身がより分厚くなった印象を受けます。

中島 あ、ありがとうございます。今までまったく筋トレとかもしたことがなくて、プロテインとかも一切、摂ったこともなかったんですけど。

――あ、そうなんですか。

中島 はい。で、去年4月に中田(勝浩=井岡弘樹)選手と試合が決まったあたりから、筋トレとか、フィジカルトレーニングを取り入れて、栄養のことも勉強して、この1年で体格もひと回り変わったと思います。

――やはり、そうですよね。

中島 はい。動きにくくなったり、スピードが落ちるかなと思ってたんですけど、逆に動けるようになって、筋肉の質も変わってきた感じがします。

中島は筋トレにも取り組んだ

――昨年は新王者になった出田選手が網膜剥離で休養して、最強挑戦者決定戦が相手の棄権で中止になるなど、加藤戦が1年ぶりの試合で。気持ちの面で難しかったと思いますが、結果的にいい1年になったのかもしれないですね。

中島 逆によかったと思います。遠回りはしちゃったんですけど、その分、自分に何が足りないかを考えて、集中して練習できたし、レベルアップできた1年だったと思ってますね。

■KOでベルトを獲ると決めている

――出田選手のことはどう見ていますか。加藤選手との試合後のインタビューでは、眼中にないと言っていましたが。

中島 まあ、日本チャンピオンでつまずくぐらいやったら、世界に行くとか言ってられないじゃないですか。この試合は世界に行く過程に過ぎないんで。ここ(日本タイトル)は眼中にないぐらいで行かないと。

――そういう意味で眼中にないということでいいですか(笑い)。

中島 はい。出田選手に対して、ちゃんとリスペクトはありますよ(笑い)。

――あらためて、出田選手の印象は?

中島 気持ちが強くて、手数が多くて、前に出てくる。それぐらいですかね。僕の印象としては。

――中島選手は、脚も使える、プレスをかけていくこともできる、いろいろな戦い方ができると思います。どんな展開をイメージしていますか。

中島 あ、もう、打ち合うつもりでいるというか、脚を使う場面もあるかもしれないですけど、全然、打ち合う気でおるよっていう感じです。脚を止めて、ノーガードで打ち合ってもいいと思ってるぐらいです。

――では、行き着く結果は。

中島 はい。もう、KOでベルトを獲ると決めてるんで。どこかのタイミングで倒しに行きます。

――倒しに行く。先ほどのタイミング、緩急、パンチの散らし方、それも意識しながら、自分から攻めにいくと。

中島 そうですね。攻撃的に。どんどん前に出て行こうかなって。

――前に出てくる出田選手を下がらせるぐらいのイメージですか。

中島 まあ、最初は出田選手が追う形になるかもしれないですけど、後半は僕が追う形になります。絶対に。で、僕が倒して勝ちます。

――どう出田選手を追いつめて、どう仕留めるのか。そこを見てもらいたい。

中島 はい。ほんまにボコボコにするんで、そこを見といてほしいですね。格闘技に身長差は関係ないところを見せるんで(出田は身長177センチ)。

――後楽園ホールは元ミドル級王者の細川チャーリー忍(金子)選手に勝って、4戦目でランク入りを決めた場所でもありますが、2年前のタイトル初挑戦で当時の日本王者、松永宏信(横浜光)選手に負けた場所でもあります。

中島 そうですね。負けたままじゃ終われないんで、後楽園ホールで勝って、今度こそチャンピオンになります。

■久しぶりの日本一、父親の涙の跡

――以前の試合後、こんな試合じゃ、後でお父さんに怒られる、と話していた記憶があるんですが、今でも試合をお父さんに評価されるんですか?

中島 最近は減ってきましたけど、よく叱られますね。昔から(笑い)。

――それは試合内容に対してですよね?

中島 はい。試合のことで、もっとこうしろ、ああしろと言われますね。

――加藤選手との試合については?

中島 あの試合に関しては……。でも、途中のラウンドで1回、お父さんの怒鳴り声でカツが入ったんですよ。

――あ、そうだったんですか。

中島 はい。途中で気が抜けてしまった場面があって、なんて言われたのかは忘れましたけど、お父さんの声が聞こえてきて、また気が引き締まったのはありました。

――ほんの一瞬、気が抜けたのも見逃さないんですね。

中島 見抜かれてる感じはありますね。やっぱり、小っちゃい頃からなんで、お父さんの声はスッと入ってきて、体が勝手に反応しますし、どこにいても、どこから聞こえてきても分かります(笑い)。

――では、お父さんのアシストがあっての勝利でもありましたね。

中島 そうですね。ほんとに。ベルトを見せたら、「カッコいいやんけ」って言ってくれて、目を見たら、あれ、ちょっと泣いてたんかなって。僕の前では見せないですけど。

――でも、今までにない表情で。

中島 そうですね。ずっと空手、キックボクシングで日本一を目指してきて、で、ならなかったら、お父さんにシバかれてたんですよ(笑い)。それが高校でボクシングに転向して、アマチュアを入れたら9年ぐらい、ずっと日本一になれなくて。暫定ですけど、ベルトを獲れて、お父さんからしたら何年ぶりに息子が日本一になってくれたんやろうって、嬉しかったんだと思います。

――しかも倒して勝ったし。

中島 そうですね。初KOやったんで。あれがKOじゃなかったら、なんて言われてたか(笑い)。

――3歳から格闘技を始めて。最初は空手ですか。

中島 最初は空手です。で、空手とキックボクシングを小学3年生から中学に入るまで並行してやって、中学の3年間はキックだけでした。ボクシングは興國高校からです。

――3歳と言ったら、気が付いたらっていう感じですよね。

中島 はい。気が付いたら道着を着てました(笑い)。

――お父さんが熱心で。

中島 そうです。お父さんが週7で教えてくれました。

――週7で?

中島 週7です。ほぼ2週間に1回のペースで日曜日は試合で、試合がないときは練習。毎日、空手をやってましたね。

――お父さんに教えてもらって。

中島 はい。もともとは極真空手の道場に行ってて、途中でお父さんが道場をつくったので。そこで興国高校、(東京)農大のボクシングの後輩で、今はRIZINの宇佐美正パトリック、宇佐美正の弟、僕の3人をお父さんが教えてました。

――それだけの空手の経験がお父さんにあったんですね。

中島 はい。僕からしたら、空手、特に蹴りに関しては、お父さんから全部、教えてもらった感じですね。

――毎日、毎日、嫌ではなかったですか。

中島 いや、当時はめっちゃ嫌でした。でも、やめると言ったら、お父さんにシバかれるんで、それが怖くてやってましたね。それがいつかのタイミングで格闘技が好きに変わって、今もやってるんですけど。

左から石田順裕会長&中島&佐々木佳浩トレーナー

■首の骨折を乗り越えて……

――格闘技が好きになって、自分から、これを目指したいと本気で考えるようになったのは?

中島 ああ。アマチュアでやってる頃は、大学に行く前までは、正直、そこまで何も考えてなくて。ずっと格闘技をやってきたから、プロにはなりたいな、ぐらいやったんですけど。

――となると、やはり交通事故で首の骨を折る重傷を負ったことが大きな転機になりますか。

中島 ああ、そうですね。あそこで、またボクシングができることになったときは嬉しかったですし、俺は格闘技で生きていく人間なんやって、この道で生きていく覚悟が決まりました。

――高校3年生の冬ですよね。もう大学も決まっていて。

中島 はい。大学に行く直前の12月です。

――どんな状況だったんですか。

中島 僕は後部座席で寝ていて、その間にガードレールに突っ込んじゃって。意識が戻ったときには、首を固定された状態で病院でした。で、手とか指とかがめっちゃ痺れてて、手も動かないし、指も動かない、動かし方が分からないみたいな感じで。

――先生からはなんと?

中島 下半身不随になる可能性もあるから、車イスで生活できるところまで持っていきましょう。それが確か最初の言葉だったと思います。で、その日は寝て、次の日、起きたら、痺れがほぼなくなって。普通に携帯をいじってて、驚かれるという(笑い)。

――手も指も動かせたんですね。

中島 あ、戻ってる、みたいな感じです。もともと首の骨にボルトを入れて、固定する手術をする予定やったんですけど、手術をしなくてもいいんじゃないか、という話になって。そのまま自然治療で。

――以前のメモを見返したら、ボルトを入れたらボクシングはやれなくなる、自然治療できたらやれると。そこで中島選手の選択があったわけですよね?

中島 あ、そうですね。病院の先生からは、それでもボルトを入れる手術を推されました。でも、それを選択したら、絶対に今、ボクシングはできてないですね。

――そこから2ヵ月の入院生活。

中島 もう、ずっと寝たきりでしたね。寝返りも打てないんで。看護師さんを呼んで、寝返りを打たせてもらったり、トイレも全部してもらったり、体も拭いてもらって。それで2ヵ月。手術なしで首を固まらせるのに成功して。

――大学1年目はマネジャーとして。

中島 最初は練習に参加したんですけど、あまりに動けないのと、首なんで監督も心配だったんだと思います。それからも練習は軽くしてるけど、みんなのサポートに回って、ボトルの水を入れ替えたり、部室の掃除をしたり。

――雑用を任されて。

中島 はい。そんなんだったんで嫌になって、何回か寮を抜け出して、勝手に大阪に帰ったこともありました。でも、当時のコーチに呼び戻されて、あと1年、我慢しろ。あと1年耐えたら、お前は絶対に花開くからって、ずーっと言ってもらってたんですよ。

――へえ……。

中島 で、確か1年経ったタイミングで、コーチがスパーリングさせたってくれって、監督にお願いしてくれて。そのスパーリングから選手として練習に復帰して、強化合宿にも呼ばれるようになって、その年のリーグ戦に出させてもらいました。

――1年、耐えて。

中島 はい。ずっと信じてくれたコーチのおかげです。

■耐えた1年が人生を変えた

――久しぶりに試合に出たときは?

中島 嬉しかったですね。勝ち負けより「うわっ、俺、試合ができるところまで来た」みたいなのがありました。お父さんにも「ボクシングをやれるだけ幸せやなって思ってた」って、後から言われましたね。でも、そのリーグ戦が自信になりました。出るまでは絶対に(本調子には)戻らんやろと思ってたんですけど、ケガは関係ないかもと感じて。で、国体でさらに自信がつきました。

――準々決勝で東京五輪に出ることになる森脇(唯人)選手に勝って。

中島 はい。まあ、向こうのバッティングで僕の鼻が折れて、失格勝ちなんですけど。でも、試合内容もよくて、全日本で優勝できるかもって、そのときに思いました。

――全日本で優勝すれば、東京五輪の可能性も出てくると。

中島 そうですね。

――1年耐えて、ガラッと変わりましたね。

中島 その1年、我慢するのとしないのでは、ほんまに人生、変わってたなと思いますね。首の手術の選択もそうですけど、あそこで大学をやめてたら、もう格闘技は絶対にやってなかったと思うんで。でも、結局、国体も全日本も3位で。で、(中退して)プロに。アマチュアでは高校のインターハイも3位やったんで、3位ばっかりやんって。恥ずかしかったですね。

――高校でボクシングを始める前は、何回も日本一を獲っているんですよね。

中島 (優勝)トロフィーの数は、有名な格闘家にも負けてないと思います。

――準優勝でもお父さんは許してくれなかった。

中島 準優勝はヤバいです。シバかれてます(笑い)。

――首の骨折のこと、その耐えた1年のことを考えると、お父さんにとってもベルトは格別なものだったんでしょうね。暫定のベルトには階級名が入っていないから、正規のベルトを見せてあげたいですよね。

中島 はい。ここで暫定の二文字を取れへんかったら、日本一になってないのと一緒なんで。絶対に勝たないといけないですね。

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