比嘉大吾の夢広がる、統一戦、2階級制覇、米国進出
2018年2月5日 12時52分
2018年2月5日 2時04分
沖縄県立武道館で4日行われたWBC世界フライ級タイトルマッチは、王者の比嘉大吾(白井・具志堅S)が挑戦者9位モイセス・フエンテス(メキシコ)に衝撃の初回KO勝ち。これは沖縄県内で行われた4度目の世界戦にして、日本人選手が初めて勝利した試合となった。
沖縄で最初の世界戦は1975年12月、地元の島袋武信(現島袋ジム会長)が、当時最軽量だったジュニア・フライ級で、WBC王者ルイス・エスタバ(ベネズエラ)に挑んだ一戦。この試合は奥武山体育館で行われた。
23歳の島袋は初回から積極的に攻めて出たが、34歳で7人の子持ちというエスタバの老獪さにしてやられ、初回に早くもダウン。島袋はその後も空転させられ、10回にストップ負けとなった。
続いて行われたのが77年5月で、舞台は再び奥武山体育館。WBA世界フェザー級王者のラファエル・オルテガ(パナマ)に挑んだのは、2度目の世界挑戦となるフリッパー上原だった。
この試合の7か月前に具志堅用高が沖縄県出身者として初の世界チャンピオンに輝き、立て続けに2度の防衛に成功。のちの世界王者、上原康恒を兄に持つ人気選手の試合ということもあって、同体育館は5000人の観衆で埋め尽くされた。
しかし、上原もまた島袋と同じように初回にダウンを喫してしまう。4回にも再び倒された上原は巻き返しを図るが、パナマ国立銀行の警備員という横顔を持つオルテガの固いガードとフットワークにしてやられ、楽々と逃げ切りを許す結果となった。
そして3度目の世界戦は“37年前”としつこいくらいに書いてきた具志堅のV14戦である。1981年3月、具志川市立総合体育館で運命のゴングは鳴った。
5ヵ月前に苦戦を強いられたペドロ・フローレス(メキシコ)との対戦は、スタートこそ具志堅が優勢に試合を進めたものの、中盤からフローレスの圧力が徐々に具志堅を凌駕していく展開。8回以降は、挑戦者が断然優勢の内容となり、12回に具志堅がついにダウン。何とか立ち上がったが、再びフローレスの猛攻にさらされると、赤コーナーからタオルが投入された。
地元の沖縄出身選手が完膚なきまでに敗れた、というのが過去3度の沖縄の世界戦だった。比嘉のV2達成は、島袋の敗戦から数えると42年目にしてあげた沖縄での初勝利。具志堅会長は比嘉と沖縄ボクシングの功労者、故・金城眞吉氏の遺影を掲げて満足そうに微笑んだ。
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