S・ミドル級3冠戦 サンダースが先制攻撃!? カネロは余裕を見せる
2021年5月5日 14時28分
2021年5月4日 10時30分
卓越したディフェンス技術から“アンタッチャブル”の異名を持つサウスポー、川島郭志が初めて世界挑戦のリングに上がった。1994年5月4日、横浜文化体育館で開催されたWBC世界J・バンタム級タイトルマッチだ。王者は韓国の文成吉から王座を奪ったばかりのホセ・ルイス・ブエノ(メキシコ)だった。
川島は幼少のときから父の英才教育を受け、徳島・海南高時代に全国大会で優勝。プロデビュー当時はピューマ渡久地、鬼塚勝也とともに“平成の三羽烏”と呼ばれたスーパールーキーだったが、キャリア前半は思いがけない苦労を味わった。
新人王戦で前年のインターハイ決勝で勝利していた渡久地にKO負け。続くA級トーナメントでもまさかの初回KO負けを喫してどん底に。追い打ちをかけるかのように左拳を骨折してブランクを作ってしまうのだから神様も意地悪だ。アマ時代に勝利しているライバル2人、渡久地は連続KO勝利を続けて日本王者となり、鬼塚も世界への階段を順当に駆け上がっていった。
ライバルに水をあけられた川島だが、ここで腐ることなくキャリアを重ね、力を蓄えていった。KO負けの失敗からディフェンス技術を向上させ、ディフェンスマスターと言われるようになったのはご存知の通りだ。
しかしそれだけでなく、92年に日本王座を獲得して3連続KO防衛を果たしたことからも分かるように、攻撃力やパンチ力に関しても非凡な才能を発揮し始めていたことも書き記しておこう。
栄光も挫折も味わい、心身ともに充実して迎えた世界タイトルマッチがブエノ戦だったのである─。
「前半戦でなるだけポイントを取りたい」と考えていた川島は言葉通り、持ち前のスピードを生かして危険な距離を避け、サウスポースタイルから左ストレートを上下に打ち分けてペースを掌握していく。決して手数は多くないものの、サイドに動いてブエノをかわし、的確なカウンターで作戦通りに試合を組み立てていった。
川島は6回に相手の首を抑えて減点1を科せられたものの試合を優勢に進め、9回ボディ攻撃でブエノを弱らせる。そして11回、カウンターの左フックを決め、ついにブエノをキャンバスに突き落とした。川島はよほどうれしかったのだろう。ニュートラルコーナーに行くのを忘れて、レフェリーがこれを注意。この間、カウントは中断されて、ブエノはゴングに救われてしまった。
KO奪取を逃すなんとももったいないシーンだったが、川島はすぐに冷静さ取り戻して最終ラウンドをまとめた。読み上げられたスコアは116-110、114-112、114-113と競っていたのは意外。きれいな顔だった川島とかなり大きく腫れたブエノの顔が試合の内容を物語っていた。
「(最終回は)ブエノもパンチがあるし、安全運転を選びました。KOよりも、まずは勝ちたかった。小さいころからの夢でしたからね。まだ夢のようです」と川島。初防衛に失敗したブエノは「ダメージは与えられなかったと思う。川島はスピードがあり、ディフェンスがものすごくうまかった」と脱帽した。
ディフェンスでファンを沸かせた最初の日本人世界チャンピオンとも言える川島は、その後6度の防衛を成功させて名チャンピオンの仲間入りを果たした。ジェリー・ペニャロサ(比)に判定負けして王座陥落、現役を退いたのは97年2月のことだった。
引退後は川島ボクシングジムの会長として後進の指導にあたり、日本ウェルター級王者の有川稔男らを育成した。自主興行「アンタッチャブルファイト」を定期的に開催している。
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