S・バンタム級のホープ村田昴 あすラスベガス出陣 5連続KO勝利なるか
2023年7月28日 9時46分
2023年7月28日 8時19分
相模原ヨネクラジムの幡野光夫会長(写真)が7月25日朝、亡くなった。60歳だった。死因は脳の動脈乖離と明らかにされているが、近年は体調を崩して入退院を繰り返していた。
幡野会長は神戸市出身。自衛隊体育学校でアマチュアのリングに上がり、全日本3位が最高成績だった。1984年にヨネクラジムからプロ転向し。85、86年の2度、日本J・ミドル級王座に挑戦したが、相手は当時無敵の王者カーロス・エリオット(八戸帝拳)。世界に挑戦したこともある強打のエリオットに対し果敢に打ち合ったが、いずれも敗退し、結局無冠のままプロ生活を終えている。
引退後は相模原ヨネクラジムのトレーナーとなり、ジムが閉鎖されると、新たに同名のジムを興して会長となった。その7年後の2005年6月には久保田和樹が日本ライト級王座決定戦に勝ち、同ジム初のチャンピオン誕生となった。
幡野会長は指導は厳しいものの人情肌の面があり、その人柄により多くの教え子から慕われた。
幡野会長の告別式は31日昼12時から相模原市の伊藤典範直営斎場で営まれる。喪主は弟の光次氏。
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