ロマゴンにハーン氏がヤファイ戦をオファー
2020年1月3日 10時28分
2020年1月3日 9時08分
WBC世界クルーザー級王座に4度就いたプエルトリコ人、カルロス・デ・レオン氏(写真)が1日、米ニューヨーク州バッファローの自宅で心臓麻痺ため亡くなった。60歳だった。近年、健康を害していたと言われる。
デ・レオン氏は80年11月、「ノー・マス」で有名なレナードvs.デュラン再戦のリングでマービン・キャメルに15回判定勝ちで2代目のWBCクルーザー級王座に就いた。
再戦でも返り討ちにしたがV2戦でST・ゴードン(米)にKO負けで転落。しかしリマッチで獲り返すと3度の防衛に成功。85年アルフォンゾ・ラトリフ(米)に判定負けで王座を失ったが、翌年、王座を引き継いだバーナード・ベントン(米)を下して同王座3度目の獲得。これを3度防衛後88年4月、イベンダー・ホリフィールドとの3冠統一戦で8回TKO負け。ここでもしぶとく這い上がり、ホリフィールドが返上したベルトの一つWBC王座を敵地英国での決定戦でゲット。4度目の王座獲得を果たした。
この王座は後のクルーザー級名王者ジョニー・ネルソン(英)とドローで防衛したが90年7月、敵地イタリアでマキシミリアノ・デュラン(イタリア)に11回失格負けで無冠に。
以後タイトル戦とは縁がなく、95年11月の試合を最後にグローブを脱いだ。ニックネームの“シュガー”に代表される洗練されたテクニシャンとして鳴らした。終身戦績は53勝33KO8敗1分。引退後は主にトレーナーとして後進の指導に当たっていた。WBCは「彼が安らかに眠るように。アディオス、カンペオン」と哀悼のツイートを送っている。
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