京口紘人のWBA・L・フライ級戦 年内開催を断念
日本滞在の挑戦者タノンサックは帰国へ
2020年12月8日 17時00分
2020年12月8日 15時05分
元WBC世界J・フェザー級チャンピオンのロイヤル小林(本名=小林和男)さんが11月17日に故郷の熊本県内の病院で亡くなっていたことが分かった。食道がんを患っていた。71歳だった。
小林さんは熊本県出身で拓大出。自衛隊体育学校でボクシングを始め、1972年のミュンヘン五輪に出場。ベスト8の成績を残した。
73年2月、国際ジムから特例でA級プロデビュー。類い希なハードパンチでKOの山を築き、無表情で対戦相手を倒しまくる姿から、当時流行のテレビドラマのタイトルをもじって“KO仕掛人”のニックネームがついた。デビューから18連勝(15KO)の勢いでWBAフェザー級王者アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)に世界初挑戦するも、これは5回KO負けに終わった。
76年10月、クラスを下げてWBA・J・フェザー級王者リゴベルト・リアスコ(パナマ)に挑戦して8回KO勝ち。オリンピック日本代表選手として初めて世界王者となった。しかしソウルでの初防衛戦で廉東均(ヨム・ドンギュン=韓国)に判定で敗れて王座陥落。王座在位期間46日は今でも日本人世界チャンピオンの最短在位期間となっている。
78年1月にWBC・J・フェザー級王者ウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ)、79年1月にWBAフェザー級王者エウセビオ・ペドロサ(パナマ)に挑戦するもいずれもKO負け。78年4月に獲得したOPBFフェザー級王座を7度防衛後、81年10月のV8に失敗して静かにリングを去った。生涯プロ戦績は43戦35勝27KO8敗。
引退後は仙台ジム、真闘ジム、横浜光ジムなどでトレーナーを務め、10年ほど前に熊本に帰郷。警備会社に勤めるなどして生活していた。
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